2013年7月31日水曜日

にんにくのまち、田子③ ~すごく田子です~

田子町の中心に、「ガーリックセンター」というその名も見事ににんにくな施設があります。

今回の大きな目的の一つに、ここでたっこにんにくを味わう、という重要任務があったのでした。

といっても僕は何度も味わっているのですが、いやいややっぱりすごかった。

まずは特製にんじゃあめん。
ガーリックセンターの一番人気メニューだそうです。
たっこにんにくを練り込んだ特製の麺の上に、たっぷりのたっこにんにくのみじん切りと豚ひき肉を炒めた具がのっていて、にんにくの香りが攻めまくりです。スープはみそ味。ひき肉をすくいやすい穴のあいたレンゲが素敵でした。

何でもここのレストランの売上の半分以上を占めるほどの大人気メニューだそうで、それも迷わず納得です。

次なるはにんにく味噌の焼きおにぎり。
あーこれもしっかりにんにくだ。
かなりうまいっす。
田子の枝豆みそとにんにくをベースに数種類の野菜を混ぜてじっくりと練り上げた「特製にんにく味噌」をつけて焼いたおにぎり。

にんにくが入ると、味が深くなるというか、柔らかくなるというか、とにかく美味しくなります。
自分の語彙力のなさが情けなくなります。

さらには田子にんにく餃子。
超ジューシーで、皮はパリッで、これもかなりうまい。
食べている間はあまりにんにくの感じはせず、5つペロリといってしまいました。
それが落とし穴だとも知らずに。

極めつけはこれ。
ほっくり丸焼きにんにく。

以下、ガーリックセンターのHPに載っていたメニュー説明です。

「特大田子産にんにくをバターと一緒に丸ごと焼きあげます。ホクホクでお芋のような食感がたまりません!田子にんにくをダイレクトに堪能して下さい。観光のお客様には絶対おすすめします!」

そのまんま、そのとおりです。
アツアツの外側をむくと、中から真っ白のにんにくのりん片が顔をのぞかせます。
ほんと、にんにくのあの強烈な匂いはほとんどせず、ホックホクの優しい味。
調子にのって6片のうち4片食べてしまいました。
そう、調子にのってしまったんです。。

食後のアイスコーヒーは、さすがににんにくは入っていませんでしたが、コースターがにんにくでした。

ちなみに照明もにんにく。

産地ならではの料理に最高に満足したのですが、やはり気になるのは食後の匂い。

食後に牛乳を飲むとか、色々予備知識はあったのですが、本場の人に聞くのが間違いない。

生産者のトップである新井田さんに、産地ならではの食後の匂い対策について聞いたところ、答えはこれ以上ないほど明快でした。

静かに一言、

「ブレスケアがいいよ」

えええー えええー えええー

なんですとー なんですとー なんですとー


さ、産地ならではですか。。。

「牛乳がいいとかなんとかって言うけれど、やっぱりブレスケアだよ」
と、さらに新井田さんは穏やかにゆるやかに繰り返すのでした。
まさかまさかの、いやこれ以上ないほどの、新井田さんらしい回答でした。

田子も認めるブレスケア。ブレスケアの偉大さを思い知りました。
新井田さんのアドバイスにしたがって、翌日は一日中お口の友達ブレスケアでした。


最後におみやげににんにくグッズ(その名もにんにくちゃん)を買い込んだのですが、ここのガーリックセンターの袋を見てしみじみ、ああ、本当にここは田子なんだなぁと思ったのでした。
袋にはここガーリックセンターの住所が記載されていたのですが。

青森県三戸郡 田子町大字田子字田子11

完璧なまでに田子です。
異論反論の余地なしです。


そしてそして、帰り道々見かけた町内のガソリンスタンドのノボリには、「本日ガーリックポイント2倍!」って書いてありました。
かなり独特な、日本中探してもそうそうないポイントがもらえるようです。

山間の静かな町ですが、知れば知るほど、グッと来る町です。

物を知る、産地を知るためには、そのものだけを脇目もふらずに見ていたのでは不十分です。
そのものを知るために、そのものにまつわるいろいろに、時には全然関係がなさそうなことにも好奇心旺盛に目を向ける必要があると、僕は常に思っています。


というわけで、次回ここに来た時には知られざるガーリックポイントの秘密に迫ってみたいと思います。

みなさんありがとうございました。

にんにくのまち、田子② ~田子の幻~


農協の集荷場を歩いていると、農家から一次乾燥された新もののたっこにんにくがどんどん搬入されてきます。

積み上げられたコンテナを、手をいっぱいに伸ばして撮影していると。

あれ?


何か通り過ぎましたね。


もう一度見返してみると。


そこにはもういない。

追いかけないほうがいいこともあります。

幻は幻のまま、そっとしておきましょう。


にんにくのまち、田子① ~1年後を見てる~


久しぶりに青森県田子町へやって来ました。
言わずと知れた「たっこにんにく」の産地です。

今年、色々とフルパワーを注いでいるものがありますが、次なるはたっこにんにくです。

もう今回で5回目の訪問なのですが、久しぶりなのでまた1年生の気持ちです。

生産者のところで2~3週間しっかり乾燥された、新もののにんにくが続々と搬入されてきます。

担当の橋本さんから教えてもらった言葉で特に印象的だったのは、

「1年を通じて品質のいいにんにくを届けたい」

というものでした。

「1年後」の品質を考えて実施している「たっこにんにく」ならではのことがあるのでした。

変わらず穏やかで元気な橋本さん。
何度訪れても丁寧かつ丁寧かつ丁寧にすべての疑問に答えてくれます。

「1年を通じて」・・・・。

聞いたことある言葉だな、と思いました。

あ、鳥取だ。

鳥取いなばの砂丘らっきょうの産地でも、「1年後までおいしく食べられるように」という言葉を聞きました。

営農部の飯原さん。
爽やかイケメンです。

目先のことだけを考えるのではなく、1年後のことを見据えている。

例えば値段。

青果物は「初物」「新物」というだけで、味が?でも市場評価=価格が高くなることがあります。

果物なんかとってもいい例で、いかに早く出荷するかに全力を注ぐあまり、食味はイマイチというものをたくさん知っています。

本当においしいものを作ろうと思っている人たちは、しっかり樹にならせて、味を充実させてから収穫する。場合によっては1ヶ月くらい収獲を遅らせることもある。
これは、他には代えがたいおいしさがあります。

たっこにんにくも、いろんな理由があって他の県内のにんにく産地より出荷はじまりが遅い。

産地の立地、環境も理由の一つですが、1年後の品質を考えていることも理由の一つなのです。

一流のゆえんだなと思いました。

生産者の宇藤さん。
忙しい中ずっとお付き合いいただきました。

にんにく専門部の田子支部長の新井田さん。いわゆる部会長さんです。
以前お会いしたときは農協の方だったのですが、今はにんにくの生産に専念されていました。
なんとも言えないゆるい雰囲気は健在でした。


みなさんは、とても柔軟で、いろんなことを試されては失敗し、それでもまだ次なる手を打っています。
葉っぱをつけて売ってみてはどうかとか、いろいろです。

こちらの話も同様になんでも聞いてくれました。

むやみな拒絶や否定はなく、まずは聞こう、考えてみよう、やってみようという姿勢がすごいなと思いました。ここまでの産地なのに。


もう収獲はすべて終了し、今は各生産者のところとJAで乾燥作業です。

「1年後」は、もうすでに始まっています。




2013年7月30日火曜日

やっぱりだだちゃの豆だ。


泣く子も黙るJA鶴岡のデンジャラス神尾さんから、今年のだだちゃ豆が届きました。

やっぱりだだちゃ豆だ。

申し訳ないが、これ以上の枝豆はない。

もしこれ以上があるとしたら、それは8月後半のだだちゃ豆でしょうか。

その時期はもっとうまい。


でも、これでも、他の豆が比較にならないほど、美味すぎ。

香りが違う。

味が濃い。

甘い。

うまい。

だって、だだちゃの豆だもの。。。


霜降りひらたけ


新しいきのこです。

その名も「霜降りひらたけ」。

きのこのカサが霜降り状の外観だからそういう名前になったそうです。

サンプルを頂いたのでバター炒めにしてみました。
ちょうど銀山のあの超うまいアスパラがあったので、一緒に炒めました。

最初は半株だけ、霜降りひらたけだけでバター炒めにしたのですが、美味しかったもので、冷蔵庫からアスパラを引っ張りだして結局一緒に炒めてしまった次第です。

朝から独り占めしてしまいました。

味の染込みがすごかった。今風に言うとハンパない。

ああこれは、何の料理にでも合います的な、脇役的な感じじゃなくて、主役になれるきのこだなと思いました。

実はちょっと前に一回頂いていたのですが、食べやすく切ってカレーに入れてしまったのですが今日みたいな感動はありませんでした。
カレーとかに入れてはもったいないきのこです。すみませんでした。
僕はセンスが皆無だと改めて思い知らされました。

このひらたけは切らずにそのまま調理がいいようです。
火を通す前はけっこう大きいのですが、加熱すると思いがけずヘナってなるので問題ありません。

このきのこ、美味しい。


行き過ぎた「低価格」、もしくは価値を評価しない「低価格」が、商品価値をも落としてしまうことってあるのです。

でも美味しいものがすべて支持されるかというと、突っぱねているだけでは入り口に立つことすら出来ない場合もあります。

難しいところですが、でも最後はやはり商品そのものが持つ地力(じりき)なのだと思います。

期待の「霜降りひらたけ」、この秋、お目見えです。

2013年7月28日日曜日

未来へのおくりもの

久しぶりに写真館へ写真を撮りに行きました。

我が家は昔ながらの「フエルアルバム」で、娘たちそれぞれに1冊ずつあります。

そんなに頻繁ではないのですが、100日祝い(お食い初め)の日から、1歳の誕生日、七五三などの節目に撮影してアルバムに綴じています。

今はデジタルでもっとおしゃれなアルバムも作られているそうですが、それは行事ごとに別冊になってしまうし、何より歩みが連続しない感じがするので、うちは「フエル派」なのです。

撮影してもらった後アルバムに綴じてもらうために、アルバムを写真屋さんへ預けるのですが、久しぶりに奥から引っ張り出してきたアルバムを見たらば。

あらまあなんと可愛いのでしょう。

今はすっかり生意気盛りの娘たちが写真の中で屈託なく笑っています。

そうそう、彼女らを笑わせるために大人たちが一生懸命でした。

むしろ大人たちの奮闘ぶりこそが面白く笑えたよと言われたのを覚えています。

たった6~7年の歳月なのに、子どもたちは一層赤ちゃんに近い感じで、現実の娘たちを見ると相当成長したなぁと思いました。

一緒に写っている僕も相当成長してしまったなぁと思いました。

妻はほとんど変わっていませんでした。と言っておきました。


写真は未来への「おくりもの」なのだと思います。

それは、「贈りもの」であって、「送りもの」という感じでもあるような気がします。

この日記も、きっと「おくりもの」になると思います。

実はそのつもりで続けているのです。

どうだい、それなりになっているでしょう?

2013年7月27日土曜日

北海道東川町③ ~これからも~

帰りがけ、思いがけない人に会うことが出来ました。

何でも、今日は「ATM当番」だったそうで、たまたまもたまたま、超偶然でした。

人と人で始まった関係は、代替わりを経て、今も、これからも続いていきます。

ほんの数分でしたが、お会いできてよかった。

握手には温度がある、と改めて思った再会でした。

これからもよろしくお願い致します。


北海道東川町② ~東川スケッチ~

ずっと続くパセリの森。

東川町にある「コープの家」の中には、かつて活躍した農機具や生活道具が保管されていました。
これは脱穀をする機械でしょうか。

わらぐつは片隅に静かに置かれていました。

東川町蔬菜園芸研究会の園田会長。
去年の8月に仙台に来てくれました。東北の大雨を心配してくれました。

アイコ。
大きかったけれど、甘さは充分でした。

富山神社。
東川町の入植者は富山県から来た人たちが多かったそうです。

黄アゲハ。
雨が降って来ました。

蝉達は抜け殻を残していよいよどこかへ飛んでいったようです。

東川町の北部にある、あしたの森。
この辺り一帯が、あしたの森になるようです。

コープさっぽろさんのエリアの一部に、昨年の記念樹が植えてありました。
僕は初めてここを訪れました。

深刻な渇水のなか、健気に樹は育っていました。

ほしのゆめのおにぎりと、東川の野菜を使って作られたお弁当。

熱々の味噌汁。


後々思い出すときに、どうしてこの風景が真っ先によみがえるんだろうっていう風景があります。

何気ないことほど、ずっと忘れないものなのかもしれません。

東川のみなさん、あたたかい時間をありがとうございました。



北海道東川町① ~水~

北海道東川町は、北海道で唯一、上水道がありません。

東川町のすべての家庭が、大雪山連峰の伏流水をポンプで汲み上げ生活用水にしているのです。

人々が毎日飲み、料理に使っているのと同じ水で、米を、野菜を作っているのです。

「ゆめぴりか」でお世話になっている「JAひがしかわ」の斉藤さん、柏倉さんに、その水の源泉まで案内してもらいました。
野菜担当の斉藤さん。

米担当の柏倉さん。

お二人とも、とてもとても忙しいスケジュールの中時間を割いてくださいました。


まずは源水入り口で水汲み。
今日もたくさんの人が水を汲みに来ていました。

東川町外の人がほとんどです。
なぜなら、この水は、東川町内に住んでいれば蛇口をひねれば自宅で同じ水が飲めるからです。
前日に買って飲み干しておいたペットボトルへ給水です。

「清冽」の一言です。

さあ、ここから源水へ。
黄色い看板が気になるところですが、見なかったことにします。

源泉までの遊歩道をすすむ参加者たち。(エプロン三ツ橋さん撮影)

みんな和気あいあいです。
特に昨日ブロッコリー観が変わった赤松くん(中央)。

心なしか、とても晴れ晴れとした表情をしています。

清流を遡上。
源水は近い。

10分ほど歩いて、たどり着きました(エプロン三ツ橋さん撮影)。
「大雪旭岳源水」です。

山形から参加の鈴木さん(24)。
爽やかイケメンです。
僕が今まで出会った中で、最も源水の似合う男だと思いました。Mr.源水です。


東川の米は、本当においしい。

僕らは全員米どころ出身ですが、ここの米はおいしい。


今回たまたま行きの飛行機で読んだ本に書いてあったのですが、おいしい米が出来るところは、豊富な水源があって水温が上がらない水源に近いところという共通点があるのだそうです。

また岩から滲み出る雪解け水は岩盤のミネラルを溶出しながら川に流れるのだそうで、これがとても大切なのだとか。

「ミネラル分が米の味をつくる」のだそうです。

でもそれは必要条件であって、それだけでうまい米を作れるほど米作りは単純じゃない、そうも書いてありました。

なるほどすべてがここ東川にとっても符合します。


思いのリレーはちゃんとつながっています。




2013年7月26日金曜日

産直提携協議会 in 矢澤農園② ねえねえ!ブロッコリー食べられたよ!

矢澤農園に来る1ヶ月前くらいだったでしょうか、何かの学習会のあとに、今回の協議会参加者である赤塚くん(28)が神妙な顔で僕に言うのです。


矢澤農園ってどんな野菜をメインに作っているんすか?

ブロッコリーとかかな。

ですよね。。。

どうしたの?

実は。。。俺、ブロッコリー。。。
食えないんす。。。

え、そうなの?
きっと畑で生で食べることになると思うよ。
大丈夫大丈夫、去年はブロッコリーじゃなく、カリフラワーだったから。

おんなじっす。。。カリフラワーもダメっす。。。
食べるふりでだめっすかね。。。

んー、だめっすねぇ(含笑)。


赤塚くんは配達現場の責任者で、爽やかかつ男気もあり、持ち前のリーダーシップでみんなを引っ張るキーマンなのですが、こんなウィークポイントがあったとは。

そんなこんなで1ヶ月は瞬く間に過ぎ。

やって来ましたいよいよ畑です。
人生でこんなにもブロッコリーに囲まれたことはなかったでしょう。

四方八方ブロッコリーです。もう逃げられません。

彼には、まるで宮沢賢治の月夜のでんしんばしらみたいに、「ドッテテドッテテ、ドッテテド」と、規則性のあるそろった声と動きで、ブロッコリー達がじわじわとこちらへ迫ってくるように見えているかもしれません。

でも、やはり彼は「男」でした。

周りで心配そうに(いや楽しそうに)みんなと矢澤さんが見守る中。

 い、いきます!

 いった!

!!!

!!!!!

お ・ い ・ し ・ い !!!!!

違う角度からパチリ(エプロン三ツ橋さん撮影)。

おーっ!

うまいっす!!
ブロッコリー食ったの、小学校の給食以来っす!!

もっとぐにゃっとしてると思った(←それ茹で過ぎでしょ!)。

ブロッコリー観が変わったっす!

相当衝撃だったようです。


些細な事かもしれませんが、自分にとって苦手なことを克服出来るって、実はとても大きなことで、むしろ大人になってからの克服は、より衝撃が大きいものです。

特に舌の記憶は一生消えないものです。

畑で食べればそりゃおいしいです。
でも、それはとても大切なことです。

大げさに言えば、気取って言えば、これも「大人の食育」かもしれません。

この感動は、きっと誰かに言いたくなるはずです。
感動は衝動に変わります。

たくさんの人にその感動を伝えてくださいね。
期待していますよ。

産直提携協議会 in 矢澤農園① ~みんなが笑顔になるために~

提携協議会のために、矢澤農園にやって来ました。

矢澤さんはとてもとても広大な農地を持っていて、その面積の多くで野菜を作っています。


超広大なブロッコリー畑。
向こうまでなんと550m。見えません。
ぜーんぶブロッコリーです。

ここはキャベツ畑。
何度来てもこのスケールにはため息が出ます。

矢澤さんは、麦だとか、そばだとか、豆だとかそういったものではなく、ブロッコリーや、
にんじんや大根など、
どれも管理が大変でとにかく手作業のウェイトが高く、僅かなタイミングで大切な時を逃してしまうこともある、そんな生の野菜を作っています。

毎日が天候との戦いです。


ここに来るとみんな感動します。

そのスケールと、矢澤さんの思いに触れるからです。
左から、青森の坂本さん、矢澤睦(まこと)さんをはさんで、宮城の荒木さん、青森の澤上さん。

現地でしか感じられないことを五感全開で感動する。

それは本当に大切なことで、だからみんなをこの地に連れてきたいのです。

でも、実際の現実は、商品が届くまでには、いろいろあります。

表面的なことだけを見て全部を見た気になるのは、仕方のない事だけれど本意ではありません。

だから、この協議会では、丁寧に話はすすめるけれども、それでも良かったことばかりで埋め尽くすような交流の場にはしたくないのです。


松浦青果の阿部さんが協議会の場で口にした言葉に、僕の思いもそのまんま入っていました。

「2012年度は、矢澤さんとの取組は、数字上は115%と伸ばすことが出来ました。
でもその115%は、みんなが苦労した115%でした。
関わった誰もが良かったと言える、そんな115%ではありませんでした。
今年は、みんなが笑顔で終われるような、来年のこの場では笑顔で会えるような、そんな2013年度にしたいと思っています。」


みんなが笑顔になるために、今年は今年の課題を、みんながそれぞれの持ち場で知恵を込め汗をかき、ひとつひとつ乗り越えて行きたいと思います。