2011年10月31日月曜日

こどもに隠れて



ANAの機内で販売されていたみかんジュースです。

この小瓶で400円。スペシャルです。

それもそのはず、東京は高級果物専門店の「千疋屋」さんのオリジナルラベルのみかんジュースです。

濃縮還元ではありません。しぼったままの、ストレートタイプです。
このジュースの原料みかんは、おなじみ西海みかんの最高級ブランド[出島の華](千疋屋のHPより)。

このみかんジュース以上においしいみかんジュースを、僕は飲んだことがありません。
初めて飲んだ時には激しく驚きました。

そして思いました。

子どもには飲ませられない、と。


でもやはり、みかんはみかんで味わうのが一番。

それまでは、このジュースでも飲んでいましょうか。

いや、飲めません。
買ったはいいけれど。

もったいなくて。

2011年10月30日日曜日

パレード



仙台中心部のアーケード街を通りゆく、ハロウィンのパレード。

1.2kmの道のりを、子ども達はめいめい仮装して笑顔を振りまき、先生たちはお菓子を振りまいていました。娘達はオーロラ姫と白雪姫になっていました。

通り過ぎる人たちも、みんな笑顔になっていました。

カメラマンの僕まで、お菓子をもらってしまいました。

子どもが元気だと、街も大人も元気になるなぁと思いました。

2011年10月29日土曜日

川上

愛媛県西宇和の川上。

これ、同じ樹になっていたみかんです。

同じ樹になっていても、こんなに色が違います。

緑色のほうは、樹の下のほうになっていました。
だから、ここでは3回に分けて収穫します。

割ってみると。
左が緑のみかん、右がもう収穫寸前のみかん。
写真では分かりにくいけれど、実の色の濃さも違います。

緑のみかんは当然酸っぱかったのですが、これからおいしくなりそうな酸っぱさでした。

やはり今年は大きい玉が目立ちます。

傷・スレのあるものも結構見ました。

春先の台風2号の影響だそうです。
そんな台風が来ていたなんて、知りませんでした。
まだまだみかんが小さいころ負った傷が、大きくなるにつれて、大きくなり目立ってくるのです。当然味は変りませんむしろ樹の外側になっているからおいしい。おいしかった。

いよいよ、今年の早生みかん、収穫開始です。

2011年10月28日金曜日

しょくぱんまんごうでいこう



ぼくたちは、もういかなくちゃ。
しゅっぱつのじかんだ。

ほーむに、しょくぱんまんごうがはいってきた。

あ、べるがなった。

そろそろしゅっぱつだ。

2011年10月27日木曜日

明浜

愛媛県旧明浜(あけはま)町。

ここの産地の全出荷量の5%にも満たない、貴重なみかんを見せていただきました。

まさかこんな場所にこんな産地があるとは、という感じでした。



軽自動車でもすれ違えない細く曲がりくねった坂道をくねくねと降りていくと、小さな集落がありました。降りていくまでの斜面がみかん畑。その細い道を、10tトラックが行き交うのですからびっくりです。パッと見無理ですが、無理じゃないそうです。すごい。

集落全体がみかん畑。
とても天気がよく、夕方になると海からの照り返しがまぶしく、海面が爆発したように光っていました。

いかにも「愛媛」なみかん畑です。
今年初めて食べた早生のみかん。おいしかった。

「今年のみかんは・・・」と、耳で聞いていた情報とは違いました。
やはり来て見ないとわかりませんね。

夜明けの街で



朝一番の飛行機のため、家を5時過ぎに出ました。

東のほうに、少しだけ朝が見えます。

でもまだほとんど夜です。

2011年10月26日水曜日

スキップ


もし、17歳の自分が、目が覚めたら42歳になっていたら、どうしますか。

この物語の主人公は、女子高生。
大雨で中止になった体育祭の夕方、自宅でうたた寝から目覚めると、そこは見知らぬ家の居間だった。ピンポン。家の人が帰ってきた。玄関を開けそこに立っていた少女へ、ここどなたのお宅なんですか?と聞くと、彼女から返ってきた言葉は「お母さん―――何ふざけてるの?」

そんなはじまりのお話です。

14年ぶりに読みました。

あの頃はまだ就職する前でした。
あの頃の僕は、今の僕を到底想像していませんでした。
今、14年後の僕が思い浮かばないように。

主人公が作中、心中で呟く言葉がとても印象的でした。

「昨日という日があったらしい。明日という日があるらしい。だが、私には今がある。」

14年たった今読むとまた違って感じます。
なんて力強い言葉だろうと思います。

これからもずっと読み続けたい一冊です。

明日は愛媛です。

2011年10月25日火曜日

冬が来る前に



気がついたらもう10月もそろそろ終わります。


冬が来る前に、あれもしなければいけません。

そういえば、これもしなければいけません。

とはいえ、それもしなければいけません。

つまり、どれもしなければいけません。


近所のショッピングモールでは、もうクリスマスの準備が始まっていました。


まだまだ時間はあるさと思いながら、そうやって、毎年暮れていっています。

なかなか成長しないものです。

2011年10月24日月曜日

再び、石巻へ。

6月に石巻の産直きゅうりのハウス内を泥かきしたとき、寄ったところがありました。

津波で押し流されめちゃくちゃになったハウスの前で、呆然としたことを覚えています。
(写真は今年の6月4日)

22日(土)、休日を利用し、今回はそこのハウスの泥かきをしに行きました。
全国のボランティアの皆さんの力添えで、なんとびっくりするほどきれいになっていました。上の写真の左奥にとんがり屋根が見える、そのハウスが、
あれです。

ここもきゅうりのハウスだったところです。生産者の再起の思いに応えるために、今日もみんなが集まりました。
職員だけでなく、凸版印刷の方々や、日生協からは産直担当の内山さんが東京から駆けつけてくれました。


今回は6月の時と違い、激しい雨も降って気温も低く、肌寒いくらいでした。おまけにハウスの側面はビニールも何もない状態。風通し抜群でした。
でも、いざ動き出すと、雨合羽なんて脱ぎ去り、みんなTシャツ姿で黙々と泥けずり。

自分でもだんだん上手になっていくのが分かります。
どんどん土嚢がたまっていきます。

やり始めたときは一面汚泥に覆われ起伏の少なかった畑も、

それっぽくなりました。

みなさんの普段見られない一面も見られました。
内山さんのTシャツ姿、貴重です。
積み上げた土嚢を前に、誇らしげです。

こんな助っ人も。
自分より重い土嚢を一生懸命運んでくれました。ありがとうね。

土の中からは、7ヶ月間眠っていた写真やCD、ビデオなどが出てきました。
TUBEの「夏を抱きしめて」。C/Wは「海へ行こう」でした。

写真は、もうぼやけていて何も分かりません。でも、土嚢に入れるのは忍びなく、別の場所へ置きました。なんとなくだけど、笑顔の写真に見えてしょうがありません。

どこから流れてきたのかもう分かりません。持ち主が無事なのかどうかもわかりません。


総勢20人近くでやりましたが、それでもハウスの半分くらいしか出来ませんでした。
また来るしかありません。

ハウスの持ち主である鹿野さんからは、「一歩一歩前進していくしかありません。これからもよろしくお願いします」と、僕たちには想像も出来ないたくさんの思いを閉じ込めて、穏やかにご挨拶頂きました。


僕たちは。
同じ県内に住んでいるんだもの。
近くにいる僕たちには、具体的に出来ることがある。

だから、続けていくのです。

2011年10月20日木曜日

僕らのあしあと

今日は夕方から実家近くの事務所で仕事があったので、帰りに実家へ寄ることにしました。

明るい時間にこの町を走るのは久しぶりだったのでなんとなくゆっくり車を走らせていたところ、バス通りから一本入ったところに、子供のころ母親とよく通ったパン屋さんがまだ営業しているのが見えました。懐かしくなり寄ってみました。


その当時この町には、近くにスーパーがなく、小学校に上がる前の僕は、隣町のAコープまで母親と弟の3人で散歩しながらよく買い物に出かけていました。僕たちにとって、帰りに寄るこのパン屋は胸躍るゴールデンコースでした。


6畳ほどの広さのささやかな店内はまったく昔のまま。
店のおじさんは、少しおじいさんになっていました。売っているパンも変わらず素朴な菓子パンが中心。

この地で店を構えて33年になるそうです。
僕の同級生も近所にたくさんいて、彼らの名前を挙げると、あの頃は子供たちがいっぱいだったなぁと遠い目をして振り返っていました。おじさんには、あの頃の子供たちのにぎやかな声が聞こえているようでした。その一人は僕であり弟だったのだろうなぁ。

僕らの、まだ小さかったあしあとは、きっと今でもそこここにいっぱいあって、人それぞれのタイミングで、ふとそれらが見えるときがあるのだと思います。

帰れる原点があることは、とてもとても幸せです。
たとえそこが風光明媚な場所でなく、平凡な住宅街でも。

今は、本当にそう思うのです。


今では僕らの育ったこの町は、町内の小学校の児童数のなんと3倍にものぼる、700人の敬老会メンバーがいる「超高齢街」になったんだよ、とその一員でもあるおじさんは、笑いながら教えてくれました。

変わらない「イトウベーカリー」の菓子パンのおいしさも、紛れもない僕らの原点です。

2011年10月18日火曜日

押忍!

朝7時。

佐世保のワシントンホテルで朝食を食べていると、見るからに体育会系のみなさんが入ってきました。20人くらいいたでしょうか。

背中には「NAGASAKI NICHIDAI H.S KARATE」とありました。

長崎日大高校空手部のみなさんのようでした。
後で見てみたら、長崎県内では超名門の空手部で、男子も強いようですが、なんと女子は県内3連覇を成し遂げた、とのこと。

「押忍!」「押忍!」の挨拶がとても清々しかったです。
でも、一人ひとりが一人ひとりへ律儀に挨拶をするものだから、辺りは「押忍!」「押忍!」でいっぱいでした。

「押忍!」
「押忍!」「押忍!」
「押忍!」「押忍!」「押忍!」
「押忍!」「押忍!」「押忍!」「押忍!」
「押忍!」「押忍!」「押忍!」「押忍!」「押忍!」「押忍!」「押忍!」「押忍!」

若いってすばらしいと思いました。

コーヒーを飲みながら、僕もなんとなく心の中で「押忍!」とつぶやき、今日も頑張ろうと席を立ったのでした。

2011年10月15日土曜日

未来に生きてる

JAながさき西海の生垣さんのお話の中で、繰り返し口にされる言葉がありました。

将来を見据えて。


今回もしかしたら初めてだったかもしれないのですが、みかん産地として現在に至るまでの歴史を聞きました。初めて知ることもたくさんありました。

今があるのは、今の尽力だけではない。
かつて、将来を見据えて取り組んでいたことが、現在を作っているのだと、よく分かりました。

だからこそ、今が大切なのです、と、そう言葉にはされなかったけれど、生垣さんのそんな思いが伝わってきました。



いつもほら 人はほら
未来に生きてる
(心のボール)

2011年10月14日金曜日

はじめての西海

サンネットの組合員理事のみなさんの研修で、JAながさき西海にやって来ました。
今回は、宮城・岩手・福島・山形の組合員理事さんが参加されました。

今回、僕は添乗員です。

みなさんみかんの樹を見るのはほとんど初めてで(お一人は東京で(!)見たことあるそうですが)、ましてや長崎へ来るのも初めて。
でも、みなさん西海みかんは大好きだそうで、意欲満々でした。

会議室で西海みかんブランドの出来るまでの変遷とご苦労を聞いたあと、

選果場をみっちり見学。

その後畑まわりでした。

今回はあいにくの雨だったのですが、畑へ向かい始めた頃には少し止みかけていたので、畑でさらっと写真を撮ろうということになりました。

ところが。

バスを降りたとたん、大きな大きなバケツを20000個くらいひっくり返したような大雨が降ってきました。

足元はあっという間に大河のようになっていました。

そんな中、僕は理事さんに無理やり並んでもらい、写真を撮りました。
足元の水の流れ、すごかったです。

みなさんの印象に残っている風景が、「長崎の雨」だけにならないことを祈っています。



お迎えいただいたJAながさき西海の皆様、ありがとうございました。

2011年10月11日火曜日

秋映



秋映。

あきばえ、と読みます。

山形県朝日町の大谷果樹組合産のりんごです。

見事な色です。

パリッとした、独特の食感。味。
名前も素敵です。

りんごはいつでもあると思っていました。
りんごはみんな同じだと思っていました。
りんごにはみんな蜜が入るものだと思っていました。
春、夏のりんごがいつ出来るものかなんて、考えたこともありませんでした。

この仕事に就く前までは。


その時にしか味わえないりんごがあります。

それを知ると、味わい方が深くなる気がするのです。

そして、ちょっと得した気もするのです。
さらには、ちょっと「通」な感じもします。


「ふじ」もいいけれど、僕はりんごは「秋映」が好きだな。
あっ。
今年はもう終わっちゃったよ。また来年だね。


こんな会話、普通はないんだろうなぁ。まぁ、ないよなぁ。
でも、いいなぁ、この感じ。
そう思うのは、たぶん僕だけかもしれませんね。


秋映は、1年に一度、10月にだけ会えるりんごです。

ぜひ。

2011年10月10日月曜日

テディベアとTeddy bear

日曜日に、娘の幼稚園で父親参観がありました。

その幼稚園は、先生の半分が外国人。
なんと英語の授業があるのです。

英語の時間は、日本人の先生は同席せず、日本語の使用は禁止。
でも、ちゃんと会話が成り立っている。
子供はすごいですね。
我が家の娘もなんとなく頷いていたりしていました。

壁際で聞いていた父親たちは、「Julia先生、こっちに質問はやめて!」と思っていたはずです。今年で4回目の父親参観の僕も、心から祈っていました。今年はセーフでした。


帰りの園バスの中、「先生の質問に、‘テディベア’ってちゃんと答えられてすごかったね」と褒めてみたら。

「違うよ!Teddy bearだよ!」と完璧な発音で叱られました。。。

まったく違う言葉に聞こえたようでした。。。



知らないところで、子供たちはしっかり育っているのだなぁと思いました。

2011年10月7日金曜日

週末の夜



仙台駅の地下道。

久しぶりに友達と街中で会うことになりました。

家路を辿る人、待ち合わせ場所へ向かう人。それぞれの目的地に向かって人が流れていきます。

目的地があるということは、幸せなことだなぁと思います。

地下道から地上に出ると、空気が変わりました。

金曜日だからでしょう、結構人出が多いです。

約束の時間まであと2分。僕が一番乗りでした。
それぞれみんな忙しいようです。

待つのもまたいいものです。

2011年10月6日木曜日

オンブラ・マイ・フ



秋田に向かう途中の錦秋湖SAで一休み。

大きな栗の木がありました。

とてもほっとする木陰でした。


こんな木陰は 今までけっしてなかった
緑の木陰
親しく、そして愛らしい、
より優しい木陰は
(オンブラ・マイ・フ)

2011年10月4日火曜日

アボカド尽くし ~NZアボカドローンチイベント~



先週の火曜日、9月27日のこと。

東京渋谷にあるニュージーランドの大使館で、アボカドのローンチイベント(発表会)がありました。普通なら、民間の団体(今回はNZアボカド協会)に大使館を開放することはないそうなので、今回のアボカドの取り組みがどれだけNZとしても力を入れているのかが分かります。

前段はNZ大使やアボカド協会の方々から、NZのアボカドについてたっぷりアピールされました。
イアン・ケネディNZ大使。
奥様が日本人だそうで、日本語がとっても上手。宮城から来たというと、とても心配してくれました。

アボカドというと、メキシコが思い浮かびますが、9月~1月はNZが「旬」になります。
NZのアボカドの最大の特徴は、アボカドに含まれる油分が高いということ。メキシコの平均値は21%、NZは平均24%の油分だそう。だからおいしい。アボカド大国メキシコに対抗するには味しかない、ということで、出来るだけ長く樹にならせ、熟度を上げているから、おいしいアボカドが出来るのだとか。なるほど。どこも同じですね。

プレゼンの最後、サプライズで、アボカド協会から日本へ震災の義援金が送られました。
2月22日のNZ大地震があったこともあり、他人ごとではないとお話されていました。

プレゼンの後は、お待ちかね、一流シェフのアボカド料理。
見るものすべて、アボカド尽くしでした。アボカド好きにはたまりませんね。アボカド好きには。

でも、アボカド嫌いにもたまらないのです。

僕はアボカドが苦手なのでした。果物で唯一。
味がどうとかではなく、食べるとちょっと調子が悪くなってしまうのです。

今回はそれを克服する目的もあったのです。

結果はというと。
         

どれもこれも、とってもおいしかったです。

まさか自分がアボカドのスムージーなんて飲めると思っていませんでした。

不思議と食べられました。ホント不思議でした。

特に、レモンがアボカドに最高に合うことを知りました。
レモンのきいた「アボカドのちらし寿司」が一番おいしかったです。

アボカドの一番難しいのは「食べ頃」。
それ次第で、どんなに安全にこだわって作っても、どんなに油分が高くておいしくても、みんな台無しになってしまうのです。

食べ頃で届けるためには。
食べ頃を知らせるためには。

その上で、栄養素や食べ方次第で一気に広がる、価格だけでは伝えられない価値を伝えていく必要があると感じました。

今回お誘いいただいたF&Tの皆様、貴重な体験大変ありがとうございました。

2011年10月3日月曜日

ふかしさつまいも

10月1日(土)、塩釜市の離島、桂島に行ってきました。

島民240人の小さな島です。
地震の時、島には220人がいたそうです。

桂島は、松島湾に浮かぶ小さな島なので、太平洋側から押し寄せた津波は島を通り越し、島の反対側まで到達しました。でも、区長さんをはじめ、近隣の住民の協力で、家から動こうとしないお年寄りを有無を言わさず軽トラックへ乗せ、高台まで一人残らず避難し、この島では一人の犠牲者も出さずに済みました。

高台は建物も無事ですが(と言っても地震で被害は大きいけれど)、海沿いは他地域同様、家の基礎もない状況でした。

今回は、台風15号で家の裏の崖が崩れてしまった内海さんというおじいちゃんの家の泥の搬出作業のお手伝いをしました。
結構崩れていて、危険でした。土もかなりの粘土質で、重い重い。これはおじいちゃん一人では無理です。

途中みんなで休憩をしていると、おばあちゃんが、自宅の庭で取れたさつまいもをふかして持ってきてくれました。

やさしくあまい。
どんな高級スイーツでも、この甘さは出せないよなぁ、と思いました。

疲れた体にじんわりおいしい、味わい深いふかしいもでした。

4時間弱くらいでしょうか、土砂が堆積した家の裏は、すっかりきれいになりました。
おじいちゃんがたっているあたりがこんもり土砂でいっぱいだったのです。写真右手の岩盤は崩れて露わになったところ。


こんなに土を出しました。

おじいちゃんにも喜んでもらえ、良かったです。

ご挨拶をして家を辞去した僕たちは、見下ろした先にある海水浴場へ向かいました。
狭く急な路地を石畳が続いていく、どこか懐かしい家並み。
この先の「民宿阿部」さんには、「鶴瓶の家族に乾杯」という番組でこの前鶴瓶と大魔神佐々木がロケに来たそうです。かつて訪れたところを再訪問、という再会編だったようです。

素朴できれいな島だったんだろうなぁ。
小路を歩きながら、そんなことを思いました。

秋桜が揺れる向こうで、かつて家だった瓦礫の撤去は続きます。