2011年4月28日木曜日

砂は風に運ばれて ~鶴岡砂丘メロン~

砂が風に運ばれて出来た丘状の地形、それが砂丘です。

今年はじめて、JA鶴岡へ行ってきました。
昨年まではだだちゃ豆で訪問していたのですが、今年の目的はメロンです。

7月から、アンデスメロン、鶴姫メロン、鶴姫レッドメロンと、おいしいメロンが出荷されます。
(画像はJA鶴岡HPより)
メロンの産地なのはもちろん知っていましたが、どうして鶴岡で美味しいメロンができるのかは良くわかっていなかったので、勉強してきました。

砂地で作っているから美味しいメロンが出来る、とは聞いていました。でも、砂地といってもまさかそれほどではないだろう、いわゆる砂っぽい土だろう、とタカをくくっていました。
大間違いでした。。。

メロンのハウス内の地面という地面、本当に砂、砂、砂。超砂でした。

メロン担当のイケメン栗田さんによると、この地域では、砂の上に家が建っているほど、一帯が砂なのでした。それもそのはず、この地域は日本三大砂丘の一つ、「庄内砂丘」の南端。35kmの長さは日本一。知らなかった。
さすがイケメンです。

砂丘で美味しいメロンが出来る理由、それは、「水はけのよさ」と、「大きな大きな寒暖差」。
真夏の砂浜って、焼けるように熱いでしょう。でも、夜になると一気にひんやりする。それがまさに寒暖差。全国的に見ても、こんな環境は珍しいそうです。

メロンにとってはこれらの環境はとても厳しい。
ぎりぎりの環境で育つメロンは、ネットの網目も細かくなります。これもまた、おいしい証拠。

またこの地域は、それはそれはきれいな地下水が流れていて、これもまたおいしいメロンの秘密でもあるのです。この地下水を利用している日本酒の酒蔵もたくさんあるんだよ、とは、
だだちゃ豆担当のデンジャラス神尾さんの情報でした(写真は去年の勇姿)。


高台から見たメロンのトンネルは、圧巻でした。

だだちゃ豆もそう。砂丘メロンもそう。
人が、風土が作り、つなげてきた、味と風景。

砂と風が、長い歳月をかけて砂丘を作ってきたように、少しずつでも着実に。
作る人、売る人、食べる人が、みんなで次の世代へつなげていきたいと思いました。

2011年4月24日日曜日

ガーベラ


家のすぐ近所に、バラを中心としたいろんな花や苗をつくっている「仙台ローズガーデン」という施設があります。共同購入の企画でもお世話になっている花屋さんです。今日はそこで「復興祭」が開かれていました。売上の一部が被災地への寄付金になるそうです。

敷地の奥にある、立派な連棟ハウスで、子ども達とガーベラの採花体験をしました。


1本50円で、何色を取ってもいいのです。

いろんな色が選り取り見取りで、娘たちはだいぶ迷っていました。



花には、花にしかない力があります。
そこにただ「ある」だけで、人を幸せな気持ちにさせたり、穏やかな気持にさせたり、感謝の気持ちを代弁したり、故人を悼む人の気持ちを慰めたりする、不思議な力があります。

花は、空腹を満たすこともなければ、渇きを満たすこともないし、もちろん燃料にもならない。しかもすぐに枯れてしまうし。だから、人が生き抜く上ではずいぶんと後回しにされてしまいます。振り返ってみれば今回もそうでした。

でも、花には、花にしかないそんな力があるから、やっぱり必要なのです。
物事には、必要なタイミングがある、ということだとも思います。

今日会場にいた老若男女、みんな明るく穏やかな表情をしていました。
娘たちも、何色にしようか楽しく真剣に悩んでいました。


彼女たちが選んだ、ピンクに白の縁取りのガーベラは、部屋の隅で優しく咲いています。

2011年4月23日土曜日

桜雨

4月19日(火)、仙台は季節外れの雪でした。
これが今年の終雪になったとしても、去年より2日遅い。桜や木蓮が咲く中、結構な勢いで降っていました。仙台で最も遅い降雪の記録は5月3日(1991年)ですが、充分遅いです。

そんな気候の中、北海道は東川から矢澤農園の矢澤さんと、札幌からエプロンの前田社長が、わざわざ仙台までお見舞いに来て下さいました。

前田社長は、いつもお世話になっている産地のみなさんもとても心配していること、みんな心から応援していることを伝えてくれました。美幌の一戸さん、帯広の和田さん、北見の佃さん、南空知の坂野さん、美瑛の外山さん、エプロンの社員のみなさん、本当にありがとうございます。

そして、会うなり矢澤さんがまっすぐ差し出した大きな手からは、矢澤さんの言葉に尽くせない思いと、大きく温かい励ましをもらいました。矢澤さんはどんな時も元気をくれます。6年前からいつもです。矢澤さん、矢澤農園のみなさん、ありがとうございます。



今日、仙台は雨。
静かに、桜の花を濡らしています。

季節は行きつ戻りつしながらも、確かに前へ進んでいます。

あと6日で、東北新幹線が全線開通します。
そんな一つ一つが、気持ちを明るくします。

たとえ、今日が雨でも。

2011年4月17日日曜日

LAUGH & GROW FAT!

今日は休み。

夕方まで子ども達と外で遊びました。
少しでも子ども達のパワーを発散させないと、家の中がもう大変なのです。

明日から学校では簡易給食が始まります。
簡易給食とは、「コッペパン」1個と「牛乳」のみの給食。1年生から6年生まで同じ量です。
もちろん足りないので、各学校の判断で、家からおかずを持って行っていいことになっています。
まだ給食センターも、学校によってはある自前の給食室も復旧までには時間がかかるからです。
この簡易給食、しばらく続くようです。
それでも新3年生の娘は「ないよりはいいよ!」と笑っていました。


今まで気にとめていなかったけれど、よく見ると娘のトレーナーの背中には
「LAUGH & GROW FAT!」
とありました。

調べてみたら、「笑うと幸せになる」という意味の、英語のことわざなのだそうです。
日本語にすれば「笑う門には福来る」です。

明日からもたくさん笑っていこう!

2011年4月16日土曜日

お世話になった生協しまねさんのトラックをお返しする日がやって来ました。

本当はこちらからお返ししなければいけないのに、なんとトラックを持ち帰る(島根まで運転して帰る!)ためだけに、わざわざ生協しまねの塩道専務理事が来られました。山形空港から仙台に陸路で来たそうです。

このトラックには、今回の復旧活動で大活躍した貴重な戦力が積まれていました。直接的ではないにせよ、この戦力のおかげでどれだけ多くの人の命と暮らしが助かったか知れません。

塩道専務は、今何が必要か、何が出来るか考え、考えぬいてこちらの要望を叶えてくださったそうです。でも、ここまで活躍したとは、こんなに喜ばれるとは思いもよらなかった、とお話されていました。

塩道専務は、何度も何度も涙をぬぐっていました。

なんて深く暖かい涙なんだろう、と思いました。

僕たちは、みんなで書いた寄せ書きをお渡しし、お見送りしました。


ほんとうにありがとうございました。

2011年4月14日木曜日

a bright future


一昨日、ニュージーランドの有機栽培キウイ生産者から、メッセージが届きました。直筆サイン入りです。
ゼスプリジャパンの佐藤さん、ドールの渡辺さんが、東京からわざわざ仙台まで届けに来てくれました。


To Miyagi Co-Op - Sendai, Japan.

OUR THOUGHTS AND PRAYERS ARE WITH YOU

ZESPRI and our organic kiwifruit growers have a very close relationship with you over many years.

We send our best wishes that you and your families can move through these very tragic events and have a bright future.

We look forward to visiting you again in the future and continuing our partneraship.


Best wishes,

Glen Arrowsmith,Jim Mathews,Dennis Robinson,Jeff Roderick




Dear  Glen ,Jim ,Dennis ,and Jeff

Thank you for giving the message whose it can be courage very much !!

We will shape the bright future with a united effort.

Moreover, let's meet with a smile some time.


2011年4月10日日曜日

VC無事稼働!

明日からの配達のために、今日からVCが再稼働しました。
震災前の3月10日以来、ちょうど1ヶ月ぶりの稼働です。
センターは、7日の震度6強にもしっかり持ちこたえています。

いつもお世話になっているお取引先さん、産地さんの懸命の商品調達により、順調に商品が納品されています。ありがとうございます。


セット作業も順調です。
この日までたくさんの準備とシュミレーションを重ねていたセンター職員も、ラインがきちんと動き出すまでは緊張していました。問題なく動いて、心底ほっとしていました。

緊急チラシのため、品目数はいつもの3分の1。
企画も紙面づくりも手探りでした。
納品いただいたお取引先のみなさんも、商品調達は読めないことだらけだったでしょう。
物流も、センターも、みんなどうなるか分からない中、とにかく配達再開にむけて進んできました。

VCの布田センター長のほっとした表情が、物語っています。

組合員さんひとりひとりの思いを叶えるために、多くの人々の思いがつながって、今日のセットになっています。

きちんと食卓まで届いて欲しいです。
おいしいねおいしいねと食べて欲しいです。
生協があって良かったねと、一人でも多くの人に思ってもらえたなら、こんなに嬉しいことはありません。

今日がスタートラインです。
これからです。

2011年4月9日土曜日

水と電気がないだけだよ。大丈夫。

茨城ふるさと産直ネットワークの皆さんから頂いた、トラック満載の救援物資は、南三陸町歌津(うたつ)の避難所へお届けしました。

そこは、避難所ではなく、集落の救援物資置き場でした。

朝9時から割り振りを決めて、午後1時~2時の間に、めいめい物資を取りに来てもらうというルールだそうです。

対応してくれたそこのおじさんおばさんに、いろいろお話を聞きました。


このあたりは、避難所で暮らす人は少なく、この地区の40戸に、非難してきた人達が一緒に住んでいるんです。東京とか、遠くからここに来た人達も今一緒に暮らしています。ここの物資は110戸分の物資になるのよ。

今の煮炊き?ガスはプロパンだから煮炊きはできるよ。水と電気はまだ一度も通ってないね。給水でまかなっている。でも、水と電気がないだけだよ。全然大丈夫。

買い物が出来ないのが一番困る。今までは車で志津川か気仙沼のスーパーへ行っていたけれど、今は志津川はスーパーが無くなってしまったし、車が流された人も多いから、気仙沼へも行けないんだ。買い物が出来ないんだよ。

だから救援物資は本当に助かるんです。こう言ったらなんだけれども、「もう救援物資はいらないよ。大丈夫」とこちらから言うまでは、援助してもらうと助かるんだ。

本当にありがとうございました。助かりました。



仙台にいると、避難所でも、県や市町村の救援物資置き場でも、そろそろ救援物資は足りてきている、と聞くことがあるのです。
でも、実際はそんなことはないようです。細かに行き渡るための人手などの問題もあるようです。
避難している場所が避難所から自宅や誰かの家に変わっただけで、避難生活はずっと続くようです。

特に今回訪れたような、町と町の間の小さな集落などでは。

水と電気がないだけだよ、とさらっと話すおじさん。
強いです。

茨城ふるさと産直ネットワークのみなさん。
ほんとうに助かりました。お届けいただいた物資は、とても喜ばれました。
みなさん、ありがとうございました。



月曜日から、いよいよ共同購入の配達が再開します。

組合員さんが出してくれた、注文書一枚に込められた思いは、とても重い。
誰かの役に立てることの嬉しさと、期待に応える責任の重さの両方を感じています。

ふんばろう! 力あわせ一歩ずつ

4月8日(金)。

震度6強から一夜明けて出勤すると、南三陸町(歌津)へ物資配送に行くことになりました。

前日に茨城ふるさと産直ネットワークの皆さんから届けられた、野菜や米など2tトラック満載の救援物資のお届けです。

南三陸町は津波で壊滅的な被害を受けた町。
変わり果てた街並みは、想像も、理解も超えていました。

テレビや新聞、写真では伝えきれない、伝わらないことがあるのです。


そんな中、瓦礫の中に南三陸の方々の心意気を感じる看板がありました。


「さかなのみうら」さんというおさかなやさんのようです。
建物すべて津波にのまれて、骨組みしか残っていません。
その、柱に立てかけてある黄色い紙には、

「ふんばろう! 力あわせ一歩ずつ 南三陸町」

と書かれていました。

そうですね。
今は、頑張る、というより、ふんばるという表現があっている気がします。

一歩ずつ。

みんなふんばっています。

2011年4月8日金曜日

4月7日

4月7日、母の60歳の誕生日だったので、帰りに実家へ寄りました。
何も無いけれど、顔だけでも見に行こうと思ったのです。

着くと子供の靴が2足あったので、姪たちが来ているものと思い部屋を見回すと、陰から我が家の娘と奥様が出てきてびっくり。さっきここに来る前に電話したらそんな話し全くしていなかったのに。完全に騙されました。

聞くと、彼女らも還暦祝いに顔見せに来たそうです。そしてちゃっかり、こ近所のお寿司屋さんでごちそうにまでなったそうです。そのお寿司屋さんは、7日が震災後初めての営業再開日だったそうで、活気があったようです。

実家はガスも電気も水道も復旧していました。
賑やかで楽しい夜でした。
また還暦祝いは今度ゆっくり、と実家を出ました。



そして。
その夜の11時32分。

また震度6強の地震がやって来ました。
すぐに闇がやって来ました。また停電です。
まだ起きていた上の娘のつんざくような泣き声が下の部屋から聞こえてきました。

皆怪我はなかったのですが、精神的にこたえました。

行かないでと泣く娘を寝かせた後、夜中2時頃本部へ行きました。
信号の消えたいつもの道を走りました。
メールでグループのみんなの安否の確認が取れました。
北支部の何人かと合流。みんな、やれやれ、という感じでした。

沿岸のことを思うと、苦しくなりました。
真っ暗闇の中、津波の恐怖でどんなにパニックになっているだろうと。

今回一つだけ良かったこと。
それは、家族みんなが一緒だったことです。
それだけで、心強くなれるし、安心します。
連絡が取れないことが何よりも辛い。
それが分かりました。


7日に再開したばかりの寿司屋も、もしかしたらまた休業でしょう。
積み上げかけた積木を全部崩された感じです。

とりあえず、やるしかないですね。



2011年4月6日水曜日

島根から来ました。

今も全国の生協の皆さんが応援に来ていただいています。
たくさんのトラックも駆けつけてくれています。

その中で、生協しまねさんからお借りしたトラックには、皆なみなみならぬ愛着が生まれました。
この間の特命任務には欠かせない重要な働きをしてくれたのです。
ちょっと変則の不思議なオートマギアも、最初は手こずったものの慣れればなかなか可愛いものです。



このトラックで仙台の南方面を配送していたある日のことです。
近くに住むおじいさんでしょうか。
それはそれは嬉しそうに近寄ってきて、人懐っこい笑顔で僕に向かって、

「おおおぉぉっ!しまねから来たのかぁい!遠くからありがとうねぇ!!がんばってね!」

本当に嬉しそうに言うのでした。


その気持ち、僕もとっても分かります。
全国からの応援が、何よりの励みになるのです。
今、まだ我が家はガスが通っていないのですが、仙台市内では大阪ガスや東京ガスの車が復旧に向けて懸命の応援をしてくれています。まもなく我が家も、と毎日期待して過ごしています。


そんな気持ちが分かるから、僕はつい、

「はい!!がんばります!!!」

などとすっかり出雲人の顔をして、完璧に仙台弁を隠して、最高の笑顔で返事をしてしまいました。
島根には一度も行ったことがないにすみません。
仙台人とはとても言えなかったのです。おじいさんすみません。
(実際生協しまねのみなさんはたくさん来ていただいていました)

もうじき彼(トラック)ともお別れです。

北支部のみんなが、念入りに念入りに、感謝を込めて彼をピカピカにしてくれました。
そして商品部のみんなで、お礼の気持を込めて、お借りした支援道具に、寄せ書きをしたためました。

生協しまねさん、本当にありがとうございました。


2011年4月1日金曜日

いちごいちえ

久しぶりに、ギターをチューニングしました。

実家にあった、父の40年物のクラシックギター。
その名も「白馬2号」。
白馬1号や3号があるかどうかは誰も知りません。


娘たちが最近大変気に入っている歌を伴奏してあげました。

「いちごいちえ」という歌です。


わらいつづけてこれた出会いに 愛をつたえよう
ぼくがどりょくするすがたを あなたが見てた
つながりつづけてゆける出会いに 愛をたたえよう
あなたがなみだするすがたを ぼくは知ってた

雨は明日にはあがると 天気よほうも見ないおじさん
ねえ、教えてよ
ねえ、ぼくはどうして人をもとめるの?


こんなふうに、読める漢字以外は平仮名にした自作の歌詞カードまで作って、毎日二人で大合唱です。
とってもいい歌です。

熱くなった二人、歌うだけじゃ飽きたらず、とうとう「白馬2号」は奪われてしまいました。
5歳の次女はかなり激しいストロークで、ナイロンの1弦を切るほどの熱演でした。



今日から4月。

全ての出会いを大切にしていきたいと思います。