2011年8月31日水曜日

一番好きな香り





まだ気温が高い中で、極早生みかんを割った瞬間のあの香り。


果物の中で一番好きな香りです。


写真は極早生みかんではなく、蒲郡のグリーンハウスみかん。


酸味がおいしい。


香りがおいしい。


台風が近づいてきました。

2011年8月30日火曜日

それぞれの3.11

震災後はじめて、委員会(地域の組合員さんの集まり)がありました。

今年の2月22日以来の委員会で、10年度は楽しかったね、と振り返りをしたあの日から半年。思いも寄らない半年でした。偶然ですが、思えば2月22日はニュージーランドで大地震のあった日でもありました。


今日は体調を崩されたりご都合が合わなかったりと2名の方が出席できなかったのですが、急遽応援で来てくださった方もあり、久しぶりの再会を喜び合いました。そして、それぞれが、今日の日までの出来事を報告し合いました。

あの日。
仕事先のお花屋さんで、卒業祝いのお花の準備をしていた人。
幼稚園のお子さんのお迎えを終え、録画していたアンパンマンを一緒に見ながら、お家で一息ついていた人。
海岸沿いの松林の中をいつものようにご夫婦でジョギングしていた人。

それぞれの日常があり、いつものように過ぎるはずだった時間は、止まってしまいました。

仙台市若林区荒浜の深沼海岸沿いをジョギングしていた組合員さんは、海から聞こえる物凄い地鳴りを聞き、後ろを見ることもなく3km必死で走り、途中に駐車していた車に乗り込み、とっさの判断で裏道という裏道を抜け、渋滞をかわし、なんとか助かったそうです。そのわずか数時間後、その海岸では200~300の遺体が見つかったという信じられない、信じたくない情報がラジオで報道されていました。

私が今ここにいることは、「奇跡」なんです、とその組合員さんはお話されていました。

ちょうどこの前の土曜日、山元町からの帰り、その海岸へたまたま行ったのですが、街全体が津波で壊滅していて、言葉を失いました。
写真は、海側から荒浜の町を見た様子です。
中央左側にある、荒浜小学校だけが原型をとどめていました。組合員さんが走り抜けた松林はほとんど残っていません。
その光景を見た後だからなおさら、その「奇跡」という言葉がよくわかりました。


それぞれの「あの日」があります。

口にすることで癒えることがあると思います。
口に出来るようになるまで、長い時間を必要とすることもあると思います。
忘れることで前に進めることがあると思います。
忘れてはいけないこともたくさんあります。

気持ちの平衡を保つことも、「頑張る」ことだと思います。
人知れず、もしかしたら自分でもそれと気づかず、みんな頑張っている、と思いました。

今日お会い出来なかったみなさんと、次回こそ元気に会えるといいなと思います。

2011年8月28日日曜日

奥松島 宮戸島にて

野菜ソムリエの会のイベントで、東松島市宮戸島へ行ってきました。


宮戸島は日本三景松島の観光地区のひとつである「奥松島」の主要部で、松島湾に浮かぶ最大の島です。人口1200人。島にある山「大高森」から見る松島湾は絶景です。



いろんなすいかのスイカ割りや、金魚すくいならぬトマトすくい、野菜クイズ、野菜・果物の重さ計りなどのイベントがあり、今回は重さ計りのスタッフとして参加してきました。


人が一日に必要な野菜の量350gをめざして、みんなで計りました。
子どもは計りに載せながら少しずつ。大人は一発勝負。わきあいあいでした。


割られたいろいろなすいか達。オレンジ色のすいかは、不思議な甘さがありました。


野菜クイズ。きゅうりの白いこなはなあに?
なかなかレベルが高いです。


宮戸島も、津波の被害が大きかった地域で、3つの集落が大きな被害を受け壊滅状態になってしまったそうです。
ほんの少しの時間だけれど笑顔になってもらえたら、という主旨で、野菜の日(8月31日)にあわせてイベントが組まれました。


宮戸小学校の子ども達やそのご父兄がたくさん参加され、それぞれのブースでは行列が出来るほどの大賑わいでした。笑顔がいっぱいでした。
せがまれて連れてきた我が家の娘達もいっぱい野菜がもらえてご満悦でした。帰ったらちゃんと食べてください。


そして、参加していた野菜ソムリへのみなさんも、笑顔がいっぱいでした。




自分が得意なこと、出来ることを、今多くの人がじっと見つめ直しているような気がします。
誰かのために何ができるか考えるときは、実は自分を見つめ直す始まりなのかも知れないなと思いました。


まだまだ多くの、いろんな力が必要なのだと思います。

2011年8月27日土曜日

山元町 夏草の線路

有志で、宮城県山元町へ作業のお手伝いへ行きました。
約1000体の米の荷降ろし、15000個のトイレットペーパーの荷降ろし、いちご農家の泥かき作業などがその内容でした。
中学1年生サッカーチームのみんなといっしょに作業しました。



山元町は福島県との県境にある海沿いの町で、津波で壊滅的な被害を受けたところです。
もうあの日から6ヶ月近くたとうとしていて、仙台の町は見た目は普通に見えるのですが、ここはまだまだです。

これから復興までは時間がかかりますが、みなさんこれからも山元町を見守っていていください。そして機会があったらぜひまた山元町へ来て下さい。元通りになるようがんばりますので、いつか復興した山元町へ来て下さい。
山元町役場の方は、何度も何度も、また来てほしいと繰り返しお話されていました。

荷降ろしが終わった跡、津波に持ちこたえたいちご農家のハウスで泥除けなどの作業をしました。
去年揃えたいちごの苗は95%が流されてしまったので、今年は他県の産地から支援をもらって今年の作業をしていました。作業は遅れていますが、それでも子苗は元気に育っていて定植を待つばかりになっていました。



作業後、JR常磐線の坂元駅があった場所へ行きました。
海から1kmぐらいのところでしょうか。
そこには、ホームだけが残っていて、ほかはほとんど流されていました。
あったはずの家々や商店街も、跡形もありませんでした。


もう電車の走ることのない線路には、夏草が生い茂っていました。


同じ県内で、あの日からほんの少しずつしか変わっていない場所がまだまだある。
忘れられないように、忘れてしまわないように、続けていくことが大切だと痛切に感じました。

2011年8月26日金曜日

大谷果樹組合 りんごめぞろえ会② ~りんご畑で~

場所を畑に移して、みんなでお話を聞きました。


色づく「つがる」に雹のあと。

副部会長の志藤清一郎さん。


雹害の説明を丁寧にしてくれました。
ほら、あたった跡あるでしょ。
あら~ひどいわねぇ。


伝えたいことは雹害の話だけじゃない。
土づくりのことや、玉回しのこと、大雪だったこと。いろいろお話ししてくれました。
大変な話も、つらい話も、白田組合長のユーモアたっぷりの説明に、みんな笑顔で納得。
みんな、また一つ大谷果樹組合のことを好きになった、という顔をしています。


山から降りてきて、再び選果場でみんなで記念撮影。

今日来なかった人たちも、こんな笑顔になることを願っています。

みなさんありがとうございました。

大谷果樹組合 りんごめぞろえ会① ~手にとって~


8月25日(木)、山形県朝日町の産直りんごの産地、大谷果樹組合で、「めぞろえ会」がありました。

「めぞろえ会」とは、今年の出荷基準の認識をみんなでそろえよう、というもの。
今回のりんごは「つがる」です。
普通、生産者や農協などでは当たり前のことですが、ここでは、生産者、消費者(組合員)、生協の職員がみんなで立会い、意見を出し合い、理解しあい、時に歩み寄りながら、出荷の基準を決めるのです。共立社(山形の生協)の組合員さんが毎年参加しており、私も今回参加しました。総勢30~40名くらいでした。

今年は、どの果物もそうですが、春先の低温やこの間の曇天続きで生育が遅れていて、色付きが遅いです。また、冬には大雪で枝が折れ、7月11日には雹が降り、大変なことばかりです。産地の状況を生産者自ら丁寧に説明してくれました。

ほら、ここ雹があたったところ。

これらの状況を考慮しながら、産地からのお願いも聞きつつ組合員からも要望を出しあいました。
味さえ良ければ傷や色は問題ないよ、という意見の方もいれば、でも色は赤いほうがいいわ、と言う人もいる。一方、味は色だけじゃ言えないんだよ、いろんな品種の中でもつがるはおしりが青いほうがいいんだよと説明があったりと、みんな素直に言い合いました。

手にとって。

食べてみて納得。
あ、おいしい。
でも、まだ早いんだよ。もっとおいしくなるよ。
え~楽しみ~。
もうちょっと待っててね。


果物はこうして出来る。
こんな風に、こんな思いで、作られている。
やっぱり、知ることはその食べ物を一番おいしくする、最良の方法だと思いました。
知ることは大切にすることの始まり。
果物に限ったことではありません。僕はいつもそう思います。

みんな一生懸命知ろうとしていました。忘れないようにしていました。

だからこそ、ここが自分たちの産地になるのでしょう。
だからこそ、いつも手を抜かず(抜けず)、頑張ってりんごをつくるのでしょう。
そんな風に思いました。

続いて、畑を見に行くことになりました。

2011年8月21日日曜日

産直提携協議会 in JAながさき西海



8月19日(土)、JAながさき西海で、産直提携協議会が行われました。

協議会の前段、圃場を見学させてもらいました。

今年は表年だけれど、そんなに極端には多くないという見込みでした。ながさき西海は表年、裏年の差をなくそうと、多くの対策を打って実行しています。誰もが安定的な出荷を望んでいます。そのために研究を続け、とにかく手をかけています。


今年は春先の低温や6月がほとんど晴れなかったことで、5~7日遅れていて、みかんの内容も色付きが遅いそうです。でも、糖・酸の検査結果は上々です。味は今年も期待できます。

課題は山積みですが、食べた人に満足してもらい、みんながやってよかった、と言えるシーズンにしたいと思いました。

久しぶりのみかん担当です。
やることははっきりしています。

心機一転、がんばります。

フミヤがいた駅


8月19日(土)。長崎県早岐(はいき)にあるJR早岐駅。

デビュー前国鉄職員だった藤井フミヤがここで働いていたそうです。
貨物列車の操車や入れ替えをしていたそうで、人に歴史ありです。

この地はとても久しぶりです。
みかんで来るのは、4年ぶりになるでしょうか。

初めて来たのは、まだ僕が配達担当だったころ。あれからもう10年くらい経ちます。あの頃この駅に降り立ったときに感じた緊張感とはまた違う緊張感が僕を包んでいました。

2011年8月20日土曜日

夏祭り

町内会の夏祭りが近所の公園でありました。


娘が子ども会で「マルマル・モリモリ」を踊るということで、ずっと練習していました。おかげで僕も少し踊れるようになりました。
有志の舞踊、有志のカラオケ、有志の民謡、有志の盆踊り、有志のどじょうすくい、有志のアコーディオンとハーモニカ演奏。日々の町内会活動のお披露目のような感じでした。

基本的にじいちゃんばあちゃんが出演者。
ハーモニカのおばあちゃんが演奏する曲目紹介で、「次は映画の音楽です」とあったから、子どもも多いしジブリか何かかな?と思っていたら、「映画、愛染かつらより~」と、まったくおばあちゃんのペース。僕もちょっと分かりません。

縁日は10円のお菓子から。手作りカレーは100円。焼きそば150円。とすけ30円。とすけとは、仙台弁でくじ引きのこと。どれもリーズナブルです。

20年ぶりに高校の同級生とも再会し、今度合う約束をしました。
高校卒業してから初めて合いました。話をするうち、いろんなことを忘れていることを知りました。お互いなんて呼び合っていたかも忘れていて、つい君づけしてしまいました。二人とも父親になっていました。

夜、泉中央のもっともっと大規模な祭りの花火が見えました。我が家は山の上なので、町も海も見えます。他にも2箇所で花火が上がっているのが小さく見えました。

日が暮れて、少し涼しい風が吹いていました。


ゆっくりと、夏が終わっていきます。

2011年8月17日水曜日

飛び玉スチューベン

果物には、その時しか見られない、見せない顔があります。


ぶどうが熟し始め、色付き始める様も、そのめったに見られない顔かもしれません。


ぶどうは、全体的にボワッと色づくのではなく、それぞれの玉がそれぞれに色付き始めます。
産地ではそれを「飛び玉」と呼びます。




秋田県十文字にある「こだわりぶどうの会」のスチューベン。
会のみなさんはとにかく味にこだわり、通常より1週間も長く樹にならせ、充分熟度、糖度を上げてから出荷しています。


まわりでは例年9月半ば過ぎから収穫が始まるのですが、こだわりぶどうの会では、今年は10月頭までじっくり樹にならせ収穫する予定です。


今年は雪害で枝折れも多く発生していて、そのため木の力のバランスが崩れ、樹が暴れたり、栄養が不足したりと、収穫減だけでなく、たくさんの課題があるそうです。


そんな中の「飛び玉」。順調に生育している証拠です。安心しました。




こだわりぶどうの会のスチューベン、とても待ち遠しいです。


今日畑を訪れた僕達がそう思ったように。


「また、こだわりぶどうの会のぶどうの季節になったのね。待ってたよ」と、毎年心待ちにしてもらえるように、また、新しいファンが一人でも多く増えるように、たくさんの人達に食べてもらいたいと思いました。

2011年8月16日火曜日

水菓子

「水菓子」とは、果物のことを言います。
水ようかんやゼリーのことではありません。

全農みやぎの野菜ソムリエ熊谷さんが、僕のこの日記を見て、金色のまくわうりを持ってきてくれました。

まだ食べるにはちょっと早いそうで、今少し置いています。
お盆のお供えにあげるところもあるそうです。

熊谷さんのはたらきかけで、津波でハウスが壊滅した亘理のいちご農家の方に作ってもらったそうです。限られた場所と道具で何が出来るか、産地も、熊谷さんも懸命に考えています。

果物が「水菓子」と呼ばれていた頃、甘いものがとても貴重だった頃、きっと夏の主役だったのでしょう。
時間の流れの中で、もっとおいしいものが生まれて、忘れられていくものがあります。

忘れられる必然にあらがって食文化を残そうという思いと、再生への思いと。

片手にのるほどの小さな一つの果実には、多くの人の、いろいろな思いが込められています。

2011年8月14日日曜日

待ち合わせ


宮城県大崎市三本木にあるひまわり畑。
最高の見頃でした。

42万本が植えられていて、春には一面菜の花畑になります。
古川にある父の実家へ墓参りへ行く途中に寄ってみました。

お盆はたくさんの人達が帰ってきます。
僕にとってもとても大切な人が帰ってきます。
一年に何度かの待ち合わせの時期です。

いつでも笑っていられることに、静かに感謝する日でもあります。

2011年8月13日土曜日

瞬きもせず。



ペルセウス座流星群を見に、近くにある標高1000mくらいのスキー場へ行きました。
すでにたくさんの人たちがいました。

広い駐車場にシートを敷き、毛布にくるまり夜空を見ていました。

明日満月になる月明かりがまぶしすぎて見られないかと思ったけれども、それよりももっと明るく大きな流れ星が見えました。いくつも見えました。僕が下をむくたび流れるので、僕は1回しか見られませんでしたが、みんなが見られて良かったです。見られないとぐずられるので。

山へ向かう途中の車中、6歳の次女は、あれもこれもと願い事を披露してくれました。その数20個。流れている間に3回つぶやかなければいけないので、かなりの早口でつぶやくか、たくさんの流れ星を見ないといけません。大変です。


津波で大変だったところの電気がまた点きますように。
お腹の調子が良くなって、好きなものがいっぱい食べられますように。
アイドルになれますように。
プリキュアになれますように。


子どもなりにいろんなことを思っているようです。

時々あがる歓声。

瞬きもせず。
みんなそれぞれの願いを胸に、一心に流れ星を待っていました。

2011年8月12日金曜日

言の葉(ことのは)



「言葉」は、もともと「言(こと)」と「端(は)」が合わさって出来たものだそうです。

「言(こと)」は「事」と同じ意味があり、「言(こと)」は、事実にもなりうるという重い意味があったそうです。

次第にその意味が軽くなり、事実を伴わない口先だけの意味を持たせようとし、「端(は)」をくわえて、「ことば」になったのだそうです。同じく軽い意味で、奈良時代には「言羽」「言葉」とも言ったとか。いつしか時の流れの中で、「葉」にたくさんの豊かさの意味を持たせ、「言葉」として現代に使い継がれている、という説があるそうです(語源由来辞典より)。


伝えたい事を「言葉」で伝えるのは、とても難しい。

色。味。匂い。音。リズム。手触り。温度。雰囲気。人の顔。感情。

でも、僕が個人的に一番難しいなと思うのは、事実を伝えることだと思っています。受け手(伝えられる側)の思いや状況を想像すること。それが特に難しい。

「これをこう言ったら相手はムッとするだろうな」
「勘違いして真逆に捉えられはしないかな」

言葉使いや表現、文脈次第では、相手の微妙な感情を傷つけてしまうこともあります。その結果こちらが言っていることを受け入れてもらえず、正しいことを言っても伝わらない、伝わっているけれど、伝わらない(分かりたくない!)ということになりかねません。

一方で、言葉一つで勇気づけられたり、元気になったり、嬉しくなったり、安心したり、時には人生を変えてしまうほど感動することもあります。

電話もメールも手紙も会話も。大人も子どもも仕事も家庭も。みな同じです。
相手の立場になって、丁寧に伝えていきたいと思います。


よく考えぬかれたことばこそ
私たちのほんとうの力なのだ

「子どもに伝える日本国憲法」(井上ひさし)


2011年8月10日水曜日

されどブルーベリー



本当はもっとずっと前に来たかったのですが、ごたごたばたばたの中、なかなか来れずに気になっていました。

おとなり、岩手県の「JAいわて中央」です。

ここのブルーベリーは、味、大きさ、品質どれをとっても最高です。
3Lサイズ(25mm以上)もざくざくあり、ここまで来るともはや一粒というよりは「1玉」という感じ。
500円硬貨の直径が26.5mmなのだそうで、それとほぼ同じ大きさ。初めて見た人は必ず驚きます。ちょっと高価だけれど、納得です。

JAでの厳しい選果がその秘密の一つです。
ほんのわずか柔らかくなった程度でもすぐに加工用にまわされます。その厳しさは、他の産地の方が見学しに来てはみんな驚いて帰っていくほどだそうです。

すでに今年の出荷は終了し、畑全体を覆っているネットは外されていましたが、まだまだ実はなっていました。Lから2Lサイズくらいが普通にありました。決して取り残しするようなものではありません。

もう採らないの?と、案内してくれたJAの小笠原さんに聞くと、もう次のりんごの作業があるから収穫は終了なのだそうです。生産者曰く、鳥に食べてもらっていいとのこと。それならばと、鳥の代わりに僕が頂きました。やっぱりおいしい。

ギフト箱もお洒落で人気です(写真は5年前)。

一見ありふれているものでも、極めるとこんなにすごい。

初めは厳しすぎる選果で生産者からずいぶん反発があったとも聞きました。でも代々のJAブルーベリー担当の方々の情熱と信念が、ここまでのブランドを作ったのでしょう。

また来年会いましょうと内心つぶやきながら、鳥に負けてなるものかとつまみ食いを続けたのでした。

2011年8月9日火曜日

Jazz





「Jazz」と「envy」。


どちらもニュージーランド産のりんごの品種です。
先週東京に出張した際立ち寄った、葛西のスーパーに並んでいました。


「Jazz」は甘みも酸味もそこそこあるりんごでした。そして「envy」はとにかく甘かった。どちらもカリリッ!と硬いりんごでした。
「envy」は測ってみたら糖度15.6度と、それだけでも充分甘いのですが、酸味がほとんどないからその感じる甘さたるやけっこうなものです。
でも、どちらもなかなかおいしく、正直なところ驚きました。


今ではキウイもかぼちゃもレモンもオレンジも、ニュージーランドからはたくさん輸入しています。温州みかんも入ってきています。僕も一度だけ行きましたが、過ごしやすく食べ物はおいしく人は優しく、とても大好きな国です。


きっとそのうちニュージーランド産りんごも馴染んでくるのでしょう。アメリカンチェリーや中国産たけのこが今当たり前になっているように。普段口にするりんごジュースの原料の多くは、実際輸入がほとんどだろうし。


おいしくて安い。それはみんなにとってとてもいいことだと思います。でも、「甘い=おいしい」とは必ずしもならないように、ただそれだけでそのまま受け入れてしまってもいいのだろうか、と思う部分も個人的にはあるのです。よく勉強し、よく考え、どっちにしても独りよがりにならないよう心がけなければ、と思うのでした。




初めて食べた舶来のりんごは、今の僕には、ちょっと甘すぎました。

2011年8月6日土曜日

星に願いを

仙台七夕祭りに家族で行きました。

たくさんの願いが込められた短冊や吹流しが、アーケード狭しと飾られていました。

避難所のみなさんが作った飾りもありました。
吹流しには、それぞれの願いが書かれていました。
その一つには、今も避難所で暮らす方のこんな願いが書かれていました。

「みんなの夢がかないますように」


仙台市内の8万人の生徒、児童が折った折り鶴をつなげた飾り。
飾りのタイトルは「星に願いを」。「絆 特別賞」を受賞していました。
我が家の娘も折ったそうで、市内の小・中学校の名前がすべて折り鶴の下に下げられていました。


吹流しの中ではしゃぐ子ども達の声が、この先の季節もずっと聞けることを願っています。

2011年8月4日木曜日

忘れてほしくはないんだ。

秋田県十文字の「こだわりぶどうの会」から、部会長の小松さん(写真右)と事務局の小川さんが、打ち合わせのために事務所へ来て下さいました。

思っていた以上に大雪の被害は大きかったそうで、平年の60%の収量見込みだとのこと。先日お伺いした時よりも厳しい。
でも、去年は雹害とべと病の発生で、平年の半分以下だったそうです。小川さんのところでは、なんと収穫量「0」だったとのこと。なんと言ってよいか、言葉が見つかりませんでした。


史上最悪の雹被害による昨年。そして40年ぶりの大雪に見舞われた今年。
小川さんから頂いた積雪時の写真。2m以上の積雪で、何も見えません(小川さん撮影)。

地域のみなさんでだめな樹を切り、新しく樹を継ぎ、新しく棚を作る、復興に向けた作業(小川さん撮影)。

復興作業の合間(小川さん撮影)。


小松さんは言うのです。

もう、状況はどん底まで落ちた。落ちるだけ落ちた。だからあとは上がるだけだ!でしょ?
今日、沿岸部の方を見せてもらった。田んぼだったはずのところに、船があった。いつになったらまたここで米を作れるのだろう。同じ農家として、こんなに辛いことはなかった。その地域の人達に比べたら、私たちは大きな被害を受けたけれど、復興に向かっている。何年かかるか分からないけれど、前へ進むしかないと思う。そう思ってる。

そして小松さんは、最後に一言こう付け加えました。


でも、今回のこの雪害、忘れてほしくはないんだ。


みんな、言葉にし切れない思いがあります。
大震災がなければ、この雪害は大きな注目を浴びていたはず。天災による被害は、相対的なものじゃない。その土地にとっては、どれも未曾有の大事件です。でも、小松さんは、そうは言わなかった。

みんなが歯を食いしばっているのが分かるから、みんなが頑張れるのだと思うのです。
言葉にならない思いを汲み取り、伝えていかなければと思うのでした。

2011年8月2日火曜日

憧れのチャイナハウス

千葉から仙台へ帰路に就く前、ちょっと足を伸ばして、1軒の中華料理屋へ行きました。


千葉は幕張本郷にある、「チャイナハウス 桂花楼」という中華料理屋さんで、前からうちの奥さんが行きたい行きたいと熱く話していたお店でした。

女性ばかりの行列で、待つこと1時間と少し。
店に入ると。

嵐の直筆サイン。
小さな写真でコラージュされた、一枚の大きな貼り絵。


ここは、「嵐」の相葉くんの実家でした。


相葉くんのお母さんの若さと細さにびっくりでした。

料理はどれも美味しく、特に餃子は美味しかった。
でも、僕の奥さんは心ここにあらずのようす。
6歳の娘は無邪気に、相葉くんに会えるかなぁと言っていました。
残念ながら今彼らはツアーで北海道にいるそうで、今日はここでは会えませんでした。もちろん実家なのでたまに帰ってくるそうですが、そうだとしても、きっと会えません。

奥さんも娘たちも、嵐がとても大好きなのです。

娘が僕に、嵐で誰が一番好き?と聞いてきました。
ここでその質問するか!
もちろん相葉くんだよ、と答えました。


帰りの車中、BGMはもちろん嵐。
みんなで歌って帰りました。見よう見まね(?)で僕も歌いました。
おかげでレパートリーも増えました。「キャラメル・ソング」いい歌です。

夢中になれるものがあるって、素敵なことです。

2011年8月1日月曜日

想い出がいっぱい



楽しかったかな。

それなら、良かった。

そろそろ閉園だ。