2011年3月30日水曜日

4月になれば彼女は


紅菜苔の花です。

写真は2年前の4月。宮城県内の山間でひっそり咲いていました。
近くに住む脱サラした農家の方が作っていたものでした。

今年の4月、母のお祝いで、この紅菜苔畑近くの温泉宿へ泊まりにいく予定でしたが、震災でその宿は店を閉めることになってしまいました。

4月になれば、母は60歳を迎えます。
4月になれば、子ども達は3年生になり、年長になります。
4月になれば、あの畑で、紅菜苔はまた黄色い花を咲かせるのかも知れません。

今まで、季節が巡るのは、むしろ当たり前とも思っていないほど当たり前のことでした。次の月を、次の年を、次の日を迎えられることは、今はとても幸せなことだと思っています。

2011年3月28日月曜日

いつもの笑顔で

少なくとも、5秒は見つめてしまいました。


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どうしてここに!?

今朝、いつものように特命チーム2000Xの集う集合場所にいくと、よく知っているけれど、ここで出会うはずのない人が、笑顔で立っているのでした。

コープ九州事業連合の本川さんでした。

今回の震災で被災地支援の募集があり、我こそはと手を挙げてくださったそうです。はるばる福岡から来ていただいたのでした。今回は第2陣だそうで、九州からは福岡以外にも鹿児島や熊本、長崎などからたくさん来ていただいています。


今日の一日の終りに、仮設本部のロビーで少しお話をしました。

今日は、久しぶりにトラックを運転したよ。石巻まで2回走った。
大変だと思うけれど頑張ってね。とにかく、元気そうでよかったよ。


あの日グレープフルーツ畑で笑っていた時と同じ、いつもの笑顔の、本川さんでした。


そのいつものあたたかい笑顔が、ほんとうに嬉しかったです。


今日までに、37生協(事業連合)から、324名のみなさんが応援に来てくださいました。

みなさん、今日もありがとう。
みなさんのおかげで、今日もまた一歩前へ進めました。

明日も頑張ります。

2011年3月26日土曜日

彼地からの便り

サンネット産直の産地、JAきたみらい 訓子府の遠藤 敏(さとし)さんからメッセージが届きました。

左から、産直玉ねぎの平田部会長、遠藤さん、産直じゃがいもの斎藤部会長です。


先週は大変な状況の中、お電話を頂きありがとうございました。

電気や交通など徐々に回復してきているようで、着実に復興へ向けて進んでいる事と思います。
しかし、原発事故の脅威、日々増えていく亡くなった方、行方不明者の数・・
まだまだ、大変な状況であることはメディアを通じて充分すぎる位伝わっております。
とても他人事とは思えません。言葉で表せない気持ちでいっぱいです。

先日、減農薬玉葱研究部会で定期総会があり、全特栽玉ねぎ生産者が集まりました。
「サンネット東北は無事なのか?」「我々にも何かできる事はないだろうか?」
「訓子府へ疎開したら良いのに・・」皆、本当に心配しておりました。

馬鈴薯の生産者も心配しておりました。
斎藤さんも、産直ツアーの参加者が海沿いの方々がいたと記憶しており、その安否を心配しておりました。

本当に大変な日々を過ごされている事と思います。
また、余震により充分な休息がとれていない事と思います。
何より、お体に気をつけて下さい。

こちらは玉葱の播種、馬鈴薯の種子準備など、平成23年産の作付に向けた作業が本格化しております。
我々がそちらへ出向いて応援活動をする事は難しいですが、遠く800kmの地より、訓子府の生産者と共にエールを送っております。
落ち着いたら、またお会いしましょう。
また笑ってお会いできることを楽しみにしております。
それでは頑張ってください。

※返信は不要です。返信文を書く少しの時間でも休息にまわして下さい。



ほんとうに励みになります。

また笑って会いましょう。

ありがとう。

2011年3月24日木曜日

修了式

震災で中断した小学校が、2週間ぶりに今日再開しました。
再開した今日が、修了式。
それにあわせ、僕も今日休みをとりました。

まだまだ大きな余震が続いており、我が家から学校までの1.7kmの道程には崩れかけて「警告」の札が貼られている家もあり、学校まで親付き添いのもとの集団登校でした。
明るくすっかり元気になったように見える子ども達。
でも、それは表面だけです。地震に見舞われた家々が、外見は何ともなく見えるように。



修了式を終えた小学2年生の娘が、帰宅後、イヤホンをしながらiPhoneの「太鼓の達人」でノリノリで遊んでいると、地震感知のiPhoneアプリ「ゆれくる」のアラームが鳴ったようでした。

「ゆれる!! くる!!」

すぐに、震度5弱の強い揺れがやってきました。

彼女は母親へ叫びながらしがみつき、しばらく泣き止むことが出来ませんでした。
その怖がり様は、とても見ていられないほどでした。

県内では、震災で親を失った子ども達もたくさんいます。

傍からは見えないその傷は、健気に明るく振舞う、子どもほど、深い。


前へ進むその一歩は、多くの励ましを受けながらも、最後は自分で踏み出すしかないと思います。

僕達大人達は、子ども達がいずれ自分の力で歩き出せるようになるまで、これから全力で守り支えていくしかないのです。

2011年3月21日月曜日

寄せ書き

全国の生協から寄せ書きが届いています。

コープこうべさんから。

神戸もそうでした!一歩ずつゆっくり進みましょう。たすけあいながら。
できる時にできる人ができることを!!
「大丈夫」と自分に言い聞かせて 前だけ見て進んでください。
ずっとずっとず~っと応援します。復興するまでずっと!!



こうち生協さんから。



今日もありがとう。
明日も頑張ります。

2011年3月19日土曜日

全国から、ありがとう。

今日までに、全国の22の生協、事業連合から140人ものみなさんが応援に駆けつけてくれました。

コープこうべさん。東海コープさん。コープいしかわさん。コープあきたさん。ならコープさん。秋田県北生協さん。生協共立社さん。コープながのさん。新潟総合生協さん。コープさっぽろさん。おおさかパルコープさん。東都生協さん。コープあいちさん。コープぎふさん。コープみえさん。コープにいがたさん。ちばコープさん。ならコープさん。生協ひろしまさん。おかやまコープさん。生協しまねさん。コープこうちさん。コープとやまさん。日本生協連さん。


店舗応援やお見舞い訪問、救援物資配送などに大きな大きな力をいただいています。



みやぎ生協全48店舗中、29店舗が営業を再開しています。
共同購入のお見舞い訪問は、19,000軒の組合員さん宅をまわりました。
僕はもっぱら今とこれからの商品調達と、配送便の後方支援をしています。
電気は県内のけっこう広い範囲で、水道、ガスも一部復旧し始めました。
けれど、沿岸部の状況は変わらず、依然安否不明者多数。
これが昨日までの状況です。

震災から1週間。
毎朝、震度3くらいの余震で目が覚めます。

こんな状況でも気持ちがすさまずにいられるのは、応援してくれる、気にかけてくれる、祈ってくれる、全国のみなさんのおかげです。

みなさん、今日もありがとう。

2011年3月16日水曜日

3月16日(水) 今日もありがとう。

 
遠く、神戸から支援に来ていただきました。
コープこうべさんのトラックです。

ちばコープさんも駆けつけていただきました。
生協しまねさんも駆けつけていただきました。

みやぎ生協では、みなさんへ寝られる場所の提供しか出来ません。それも雑魚寝のスペースです。
みなさんは寝袋持参、食料持参、燃料持参、すべて自前で応援に駆けつけてくれています。



昨日も、今日も、何人かの方々へ無事のご連絡をしました。
みなさん、電話の向こう側で、心から無事を喜んでくれました。
とてもとても感激しました。まるで自分の家族のように喜んでくれるんです。
ほんとうにうれしかった。

16年前、阪神大震災が起きたとき、学生だった僕は、ここまで人のことを思えただろうか。テレビの中の出来事だったんじゃないか。あのころの僕は・・・。



沿岸部は依然厳しい状況です。
石巻では、家族4人で1日たった1丁の豆腐とツナ缶一つで命をつないでいる人がいたと、今日現地支援に行った中澤さんから聞きました。

同じ県内にいる僕達には、まだまだ出来ることがあります。
たくさんの「つながり」が、力の源です。

みなさん。今日もありがとう。

2011年3月14日月曜日

ありがとう、ありがとう。

3月11日午後2時46分。
宮城県沖を震源とする大地震は、あらゆるものを襲い、奪いました。
多くの方の安否がまだ分かっていません。

今日から支部では、配達担当者が一部の組合員さんのお宅へ、安否確認とお見舞いでまわりました。
大丈夫でしたか?ご家族は大丈夫でしたか?おケガはないですか?無事でよかった。
全国から救援物資として送っていただいているバナナ1パックと2リットルの水1本を持って。

ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。

担当者は、お見舞いのお返しに、たくさんのありがとうをもらったそうです。
配達している担当者も、被災者です。
みんな、みんな、大変です。



僕も、全国でお世話になっている多くの方々から、たくさんのご連絡をいただきました。
訓子府から。名寄から。札幌から。東川から。青森から。鶴岡から。山形朝日町から。埼玉から。千葉から。東京から。川崎から。名古屋から。大阪から。和歌山から。神戸から。鹿児島から。そして、宮城県内から。
そして、電話やメールがつながらないだけで、多くの方々にご心配いただいていると感じています。

大丈夫か?体は?家族は?職場のみんなは?その家族は?困っていることはないか?少しの間があれば仮眠をとれよ。何も出来なくて申し訳ない。何かあったらいつでも言ってください。

何も出来なくて、なんてとんでもありません。

その気持ちが、言葉が、今日の疲れを癒し、明日の一歩につながります。みんなの弱りそうな気持ちを優しく心強く支えてくれるのです。

これは、ほんとうです。ほんとうのことです。

ありがとう、ありがとう。



僕は、地震のあった翌日12日朝から、多くの同僚と共に、県内の問屋さんや青果市場、全国から届く救援物資の荷受、仕分け、店舗への配送で現場の後方支援をしています。
現実とは思えない現実が、すぐ身近で起きています。今は、とにかくやれることをやっていきます。

明日も頑張ります。

2011年3月8日火曜日

はやぶさにのって

生の「カンブリア宮殿」を体験してきました。

職人になりなさい。

社長の言葉が今もこだましています。

世界で一番早く飛ぶ鳥「はやぶさ」が素晴らしい速さでホームへすべりこんで来ました。

そろそろ北へ帰る時間です。

2011年3月6日日曜日

偶然

千葉幕張で開催された食品展示会へ行きました。

そこで、偶然、とても久しぶりの人に会いました。
彼は、僕と同い年で、遠くのまちへ一緒に出張に行ったこともありました。

まるで「5時に海浜幕張駅前のCaffe VELOCEで」と約束していたかのように、とても自然に会ったのでした。

彼の専門分野の今の状況について、教えてもらいました。世の中は、みんなの知らないところで動いていることを知りました。

今、転機なのかも知れない。

これまた偶然、木曜日の夜に菅原統括と同じ話題について、冗談交じりに話しをしていたのです。
僕は「さすがにそれは無理でしょう!」と笑っていたのです。
でも、本気で考えるべきなのかも知れません。
それは実は、台湾に行って見聞きしたことからも、強く感じてきたことでした。

時代が変わることで、同じものでも以前とは、意味や、価値が変わるってことあるんですね。


今回、8個くらいの偶然が重なりました。いくつもの偶然が重なるということは、必然なのかも知れないと感じました。
いつかの甲子園決勝、佐賀商が9回表に逆転満塁ホームランで大逆転をしたのを、事務所となりのラーメン屋で見たときも、「こうなることは、まるではじめから決まっていたようだなぁ」と思ったものです。ちょっと違うけれどそんな感じです。

じっくり考えてみようと思います。

2011年3月5日土曜日

台湾日記⑦ 早朝散歩



朝食前の早朝散歩。

路地裏の路上で腸詰を作っていました。

店頭ですぐに食べられる惣菜屋。
こちらの方々は出勤途中に朝からこういう所で食べる人も多いそうです。ハエよけがぐるんぐるんまわっていました。

セブンイレブン。
関東煮とは、おでんのこと。どれでも一つ10元。日本円で30円。安い。


5日間、みなさんありがとうございました。

謝謝。再見。

台湾日記⑥ 釈迦頭と蓮霧と菱角と檳榔


駅前にずらっと並ぶ釈迦頭。

「しゃかとう」と読みます。
いちぢくのようなパインのような梨のような桃のような。。。
不思議な味と食感でした。甘いけれど爽やかでもあり、濃厚だけど淡白でもあり。そしてとっても果汁が豊富。
日本では輸入が解禁されていないので、食べることが出来ません。食べた日本人の8割は「おいしい!」と言うそうです。僕が食べたのはちょっと過熟でしたが、おいしかったです。

蓮霧。
「れんぶー」と読みます。
英語では、WAX APPLE。洋梨っぽい感じです。
シャリシャリして美味しい。甘さは控えめ。

菱角。
「リンジャオ」と読むようです。
日本の菱の実と同じようですが、僕には菱の実が分かりません。栗のような、ほくほくして優しい甘さ。路傍で売っていました。
昔は日本でも食べたそうです。と思って調べてみたら、今でも作っているところがあるそうです。どこかのJAで出荷していました。湖沼に浮かぶ水中植物。日本の菱の実は、その昔、乾燥させて忍者が「マキビシ」に使っていたそうです。確かにこれを踏んだらかなり痛い。菱を撒くからマキビシ。なるほど。

檳榔。
「ビンロウ」と読みます。
葉っぱで巻いていない方を噛んで皮(?)をとり、葉がついたまま噛みます。
強烈でした。
南国の人の噛みタバコやガムみたいな感じでしょうか。超渋い、超苦い。辛い気もする。おまけに口の中が出血したように真っ赤になる。癖になるそうですが僕はなりません。忘れたくても忘れられません。


とりあえず、その土地にしかないものは、全部口にすることにしています。
ビンロウはすごいね。
僕達が、なんらかの反応をすることをみんな期待しています。だから期待に応えました。
そうすることで、距離が近くなる気がするのです。言葉が通じなくても。言葉が通じないからこそ。

2011年3月4日金曜日

台湾日記⑤ 日本のあしあと

山から降りてきて、ずいぶん高いところにいたんだと分かりました。
さっきまで、てっぺんの右あたりにいました。

さっきまでいた高台から眺めると、きちんと碁盤の目状に整備された区画が見えました。
1区画、1haだそうです。
ところどころバナナの畑が見えます。
日本が台湾を統治していた頃作られた区画だそうです。

バナナの皮を薄くむいてみました。
少し黒いのが分かるでしょうか。バナナが「かぜ」をひいているのです。
バナナがかぜをひく。低温障害にあうことをこう表現するのです。
表面からは全然分かりません。

この冬、このあたりは今までにないほど冷え込んでいるそうです。3~5℃だそうです。沖縄よりずっと南の島なのにです。

台湾の中でも、ここのバナナはちょっと違う。
食感が違う。甘みが違う。ただの台湾バナナではありません。

ちょっと内緒の、とっておきのバナナです。

2011年3月3日木曜日

台湾日記④ 芒果の花、ゆれる。

芒果の花です。
粒々の一つ一つが芒果の実になります。
愛文という品種です。

でも、全部に実はならせません。自然と落ちるし、人も落とします。
きちんと収穫されるまで生き残るのは、1/1000の割合だそうです。かなりの高倍率です。

花が落ちて、実が見えてきました。

すでに少しそれっぽいです。

もうすっかり大人の顔です。
「愛文」は、カタカナにすると「アーウィン」。
宮崎でつくられている品種と同じ品種です。

気温は28℃を超えていました。
木立の隙間を、芒果の花をゆらしながら、熱い風が通り抜けていきました。

台湾日記③ みわくのパイン

 

数あるパインの中で、僕が一番好きなのが、台湾パインです。

とにかく甘い。とにかくうまい。香りがいい。果汁が多い。
特に、芯がおいしい。サクサクです。

フィリピンのパインとはそもそも品種が違います。
ここの畑は、すべて味の良い「台農17号」という品種。


日持ちがしにくいからか、ちょっとお高めだからか、スーパーの店頭で販売しているのは見たことがありません。
でも、一度でいい。多くの人に食べてもらいたいと思います。

1年半かかって、ようやく食べられるほどに育ちます。じっくりゆっくり育ちます。

きっと彼らも、畑で待っています。


2011年3月2日水曜日

台湾日記② 高雄の車窓から

高尾駅はどこか懐かしい。

窓から一面見えるのは、マンゴーの畑。満開です。

2年前の8月に台湾を襲った巨大台風の爪痕。橋が途中から無くなっています。
この台風8号では3日間で1年分の雨が降り、6階建てのホテルがまるごと流され、台湾全土で500人以上の人が亡くなったそうです。バナナをはじめ多くの農作物も壊滅的なダメージを受けました。


台湾の駅弁。その名も「排骨便當」。台湾で一番人気のある弁当だそうです。
 
排骨とは、豚のあばら肉のことだそうです。薬膳というか漢方というか、台湾独特の香りのする味付けがまた、ごってりとした肉とあいまって、ずしんと重量級でした。60元。日本円にして180円くらい。安い。

目的地まで3時間。

海が見えてきました。もうすぐです。