2011年12月31日土曜日

ありがとうございました。



今日31日は支部でのおせち、刺身配達応援です。
僕もカーナビを頼りに配達に出ました。
新興住宅地から、雪深い山里まで。

みんな暖かく迎えてくれました。

刺身をお届けしたら、「寒いでしょ」と温かい缶コーヒーをくれた方もいました。
大内さんという方でした。

今年一番温かいコーヒーでした。



みんな初めて会う人で、きっともう会うことのない人たちだと思います。
いつもはデータ上の「利用人数1」としてしか接していない人たちです。

今夜、僕が届けた刺し身や蟹やそばを囲みながら、いろいろあった今年のことを話すのでしょう。

ほんの1mmだけ、データの向こうの「暮らし」に触れられた気がしました。

僕の原点です。



今年は多くのみなさんに力をいただきました。

たくさんの、「大切」が増えた1年でした。

今年1年、本当に、本当にありがとうございました。

来年もよろしくお願い致します。



2011年12月30日金曜日

言葉なんてなくたって

3月14日に支援物資としてセンターに届いたバナナ。

水やカップラーメンなど、全国からいろんなものが支援物資として届き、センターでその仕分けをしていたときにこの送り札がついたバナナを見つけました。

出荷元は名古屋でした。
地震の3日前に、このバナナを送って頂いた方に4年ぶりにお会いしたばかりでした。

まだ電気も通じていない、寒々とした大きな倉庫の中で、まるでその方本人とばったり会ったような、そんな気持ちになりました。

一人思わず声を上げてしまいました。

とても嬉しかった。

そしてこの札を見ただけで、どんな思いで出荷してくれたか、その思いは全部伝わってきました。
携帯の電波が通じなくて、ありがとう、ってすぐには言えなかったけれど、その思いはちゃんと伝わっていました。


そういうことって、たくさんあると思います。

言葉なんてなくたって、「絆」ってわざわざ言わなくたって、伝わることってあるのです。

2011年12月29日木曜日

知らない部屋


久しぶりにもといた棟に行きました。

今いる仮設事務所と同じ敷地内ですが、駐車場をはさんで少し歩いたところにあるのです。

入り口は同じだけれど、中はすっかり改修がすすみ、そこはもう、僕の知らない事務所になっていました。

前いた事務所の中をちょっと覗いてみました。


僕達がいた部屋です。

知らない部屋になっていました。

これからここは、会議室として使っていくようで、僕達の引越し先は隣の棟としてただいま建設中です。

前の事務所ってどんなだっただろう。
思い出そうとしてみましたが、にわかにはピンと来ません。


久しぶりに、閉じ込めておいた写真を見てみました。



写真は3月12日、地震の翌日の事務所の風景です。

左奥はガラスで囲われていたスペースでした。

もはやガラスどころか、柱や壁や扉も倒れて、原型を留めていません。
誰も怪我をしなかったのが奇跡です。

地震前の事務所の写真は残していませんでした。


そこここで、知らない風景が、これからの新しい風景になっていくのでしょう。

それはそれで、大切なことなのです。

2011年12月28日水曜日

Priceless


国産のアボカド。

あるんです。

黒胡椒をパラパラとふりかけ、そのまま頂きました。

こっくりとおいしい。

近くの席の人に食べてもらったら、大好評でした。

サンプルは、企画する前に食べてもらうことが多いので、いつものようにこれも、いくらなの?と聞かれました。

まだ量が少なすぎて、値段はつけられないんだ、と答えました。


値札をつけられないものって、たくさんあります。

Priceless(プライスレス)ってやつです。

でもそれは、本当は、量の多い少ないで決まるものではなくて。


ものの価値って、人によって違います。
原価の積み上げがものの価値ではないのです。

Price(プライス)の仕事をしているけれど、その後ろにあるPriceless(プライスレス)をいつも探していたいと思います。


2011年12月27日火曜日

仮ぐらし、なのに

3月の地震で事務所がやられてしまったので、今だ仮設事務所で「借りぐらし」ならぬ仮ぐらし中です。
来年の6月ころには新しく建つ事務所へお引越しできるようです。もうしばらくの辛抱です。


今日は仮設事務所の大掃除。

いらないものをごっそり捨ててこっち(仮設事務所)に移って来たはずなのに、いつのまにか増えているいらないものたち。

誰、とはいいませんが、何でこんなものあるの?これいつの?といういろんなものが机の隙間にあったりして。なかなかのお宝でした。誰、とはいいませんが。


椅子を10cm後ろに動かすだけで後ろの人にぶつかってしまうような、そんな超狭いスペースでの仮ぐらしなのに、わずか9ヵ月の間に、案外身軽じゃなくなっていました。

本当に必要なものが見えたあの頃から、少しずつ、さほど必要じゃないものに囲まれるのにも慣れてきているんだな、と思いました。

そういえば、今はあの頃ほど必死で節水していないかも。

降り積もる雪を子供用ビニールプールにためて、少しずつ解かしながらトイレ用の水にしていた頃もあったなぁ。給水車にも並んだなぁ。ずっと前のことのようだなぁ。


常に「本当に必要なもの」だけで暮らしていくわけではないけれど、せめて、「あ、慣れているな」と時々でいいから気がつけるようでありたいな、と思うのです。

2011年12月26日月曜日

不思議は不思議のままで

我が家に今年も無事サンタクロースがやって来ました。

プレゼントとひきかえに、テーブルに用意していたクッキーとコーヒーはきれいになくなっていて、人参もちゃんとトナカイのお腹におさまったようです。

何時ごろ彼らが部屋に来たのか、全然気がつきませんでした。

あとで長女に聞いたところ、夢の中でトナカイの鈴が聞こえたかと思うと、それを隣で寝ていた僕のいびきがぶち壊してしまったそうで、おかげで夜中に目が覚めたそうです。ごめんなさい。

ちなみにすでにそのときはクッキーもコーヒーもなく、枕元にはプレゼントがあったそうです。


不思議は不思議のままでいた方が幸せなことがあります。

大人になると、大方の不思議には簡単に現実的な答えをあてがってしまうもの。

せめて今のうちは、そんな優しい不思議を大切にしてあげたいと思います。



2011年12月25日日曜日

それぞれの。


クリスマスのイベントでドラえもんの映画を見るために子供達と市民会館へ行きました。

会場入り口の「本日の催物」の案内には、もうひとつのイベントの案内がありました。

展示室(地階)
仙台コスプレ感謝祭8
~コスプレイヤーのクリスマス~

(地階)というのがまた絶妙です。
何が行われようとしているのでしょう。

ドラえもんよりも気になってしまいました。


2011年12月23日金曜日

帰り道は君と一緒

仕事帰り、仙台の街で髪を切っていた娘達を迎えに行きました。

光のページェントで飾られた欅並木が、強くなってきた風に大きく揺れていました。

大通りの端っこに車を停めて、嫁さんに着いたよと電話をすると、すぐ行くよ、との返事。車で音楽を聴きながらしばし待機です。

GONTITIの「Humble Music」。



「Humble」とは、「ささやかな」という意味。
気づくといつの間にか次の曲になっているほど、短くてささやかな曲たち。音は全曲2本のギターだけ。でも、ささやかだけれど、聴けば聴くほど、じわーっと味が出ます。

「帰り道は君と一緒」という曲が好きです。
1分54秒。やっぱりささやかです。


さすがに今日はすごい人出です。

通り行く人たちは、どこかへ向かうのか、帰るのか。

みんな誰かと一緒です。


それにしても。

すぐ行くよ、から、はや30分。待ち人未だ来ず。
目の前の行列の出来ているラーメン屋がうらめしい。

待機場所を失敗しました。

おとなしく待っています。
よくあることです。

2011年12月22日木曜日

伝えたいことは、何?

「品質は同じです」


果物や野菜など、農産物ではそんなことありえません。

品種が同じなら、「品質」も同じなのでしょうか。

そもそも「品質」ってなんでしょうか。

味?色?形?大きさ?鮮度?におい?成分?日持ち?手触り?やわらかさ?

「味がいいです」というつもりで「品質」という言葉を誰かに送ったとして。
その誰かは、「おお、日持ちするんだな」と思うかもしれない。

そこですれ違いや誤解が生まれます。
その小さな説明不足が、取り返しのつかないことを生むことだってあると思います。


意味に幅が広い言葉、あいまいな表現は、文学や芸術のように相手の想像力を刺激して、さらにそこから新しいものを生むような場合はいいけれど、「これ!」という特定のことを伝えるときには不向きです。

大切なのは、自分が何を伝えたいか、ということ。
伝えたいことが自分で分かっていないと、意味を限定した言葉を選べません。

伝わらないのは、結局自分があまり分かっていないことの現われなんだと思います。


そんなことを、ちょっと思いました。

2011年12月21日水曜日

雪が静かに



嬉しいことにも、いろいろあって。

あとで考えると、「あ、あれは嬉しかったんだな」と分かることがあります。

それが分かったとき、深いところで、よし、頑張ろう、と思えるのです。

自分の中でゆっくり熟成、醸成されていくのが分かる時があるんだなぁと思いました。

雪が静かに山を飾っています。
白い花が咲いたようです。
とてもきれいですね。

2011年12月19日月曜日

昔しらべ

昔しらべ。

小学3年の娘の社会の宿題です。
身の回りの昔のものを探してみよう、それが出来て何が便利になったか調べてみよう、というもの。

とはいえ、今の我が家に昔のものなんてありません。

大崎市古川のぴーちゃん(ひぃじいちゃん、ひぃばあちゃんのこと)の家なら、かまどや井戸など、理想的な昔のものがあるのですが、今から行けないし、聞いたらこの前の地震で家が大きく傾いたので家まるごと全部壊してしまったとのこと。

だから、手近なところで、僕の実家でいろいろと物色してみました。


8ミリビデオ、レコード、ウォークマン、握りはさみ、黒電話。


予想通り、大したものは見つからず、「これ昔か?」と微妙なものもありましたが、それでも9歳児にとっては新鮮だったようでした。
10年前なんて、僕にしてみればつい最近だけど、彼女にとっては存在しない時間で、永遠に実感出来ない時間だからなのでしょう。

今ならインターネットで、もっと理想的な昔のものが一瞬で見つかるのでしょうが、そうはしたくありませんでした。
自分の目で見て手で触れることと、2次元の画面で見るのではまったく違います。

僕は「知った気になる」「分かった気になる」ほど、危険なことはないと思っています。本当に知る機会を、自分から閉ざしてしまうからです。それは、子どもも大人もいっしょだと思います。


今日の昼休み、こんな話を同じ部署の、僕よりちょうど20歳先輩の千葉さんと話していたら、「8ミリ」が昔のものか。。。と脱力していました。

僕にとっても8ミリはちょっと昔ですよ、と若いフリして言ってみました。

千葉さんすみません。

2011年12月17日土曜日

冬の口笛


普段車で通り過ぎる道を、今日は歩いて帰りました。

粉雪が舞って、舗道のところどころが凍って、気温はたぶん-1度くらいでしょうか。
体よ暖まれと、気持ち少し早足で歩きました。

車だったらまず通らない、大通りから一本はずれた路地を歩いてみました。

細くて急斜面が大変な、でもとりたててて何の変哲もない住宅街の道。
この道は、2009年に公開された「重力ピエロ」という映画のロケ地でした。

以前原作は読んでいたので、想像の中で、少し登場人物を歩かせてみました。
兄弟の話です。
弟に電話してみようと思いました。

今日嫁さんが美容室に行ってどことなくきらきらして帰ってきました。
明日は子どものクリスマス会。お世話がかりなので僕も参加です。

iPhoneでスキマスイッチを聞きながら、頭の中でとりとめもないことを入れ替えながら、体よ少しは軽くなれと、気持ち少し早足で歩きました。

小さな駅の、遮断器もない小さな踏切を超えました。
山形へ向かう電車がそろそろ着くようです。


家まで1時間30分。
なかなかいいもんです。
時々ならね。


響く音色は冬の口笛 
途切れないように 育てていこう
(冬の口笛)

2011年12月16日金曜日

不思議なデザート



委員会で、委員長さん(組合員さん)が作って持ってきてくれたデザートです。

こんにゃくと、コンデンスミルクと、青ばたきなこと、黒豆を、何かしてどうにかしたデザートです。

作り方を聞いたのですが、すっかり忘れてしまいました。

こんにゃくをデザートですよ。

これがまた、とても不思議で、驚くほどおいしい。本当においしい。
歯ごたえがいい。優しい甘さがいい。


今年の委員会は今回が最後。
次みなさんと会うのは、来月です。つまり来年です。

今年初めて、「よいお年を!」と言いました。

今までは時候のあいさつだったこの言葉。今は、もはやあいさつではなく、むしろ祈りに近いかも知れません。

ただ元気に会えるだけでいい。
そんな当たり前のことを、大げさじゃなく、みんな本気で願っています。

よし。
年明け、この不思議なデザートの作り方をもう一度聞こう。


些細なことこそ、大切に。


2011年12月15日木曜日

虹の足元

虹の足元には宝物が眠っているのだそうです。

ずっと前に聞いた話で、北欧に伝わる伝承だそうです。

朝玄関を開けると、遠く北西に見える「七ツ森」から、すぅっと、少し薄めだけれど、大きい虹が出ていました。僕の実家がある方角でした。

どんなにがんばっても遠ざかるばかりでここから見える虹の足元には辿り着けないけれど、考えてみれば今立っているここも、遠く南東から見たら虹の足元なのかなぁと思いました。

近くほど見えないものなのかもなぁ、と思いました。

2011年12月14日水曜日

食べるの大変そう・・・ですよね。



きんかんです。

どうぞ、と僕の真後ろの席のお姉様方におすそ分け。

あまりなじみがなかったようで、お一人は初めてのきんかんだったそうです。

一人は爪で皮を剥こうとし。

一人は前歯で皮を剥こうとし。
こんな風に。

食べるの大変そうだなぁ、と思ったそうです。

どうしても自分が標準になってしまうので、そして専門分野に詳しくなればなるほど、かつて自分が戸惑ったことすらすっかり忘れてしまっている。

いけませんね。

きんかんは、まるごと皮ごと食べられる果物です。
でも、それを知らなければ、いくら甘くておいしい果物でも、買ってまで食べようとは思いません。だって食べるの大変そうだから。

そういえば初めてラ・フランスを食べたとき、まるでじゃがいものようで、二度と食べるもんかと心に誓ったのを思い出しました。熟していなかっただけなのに。


選ばれない理由って、案外こんなところにありそうです。

2011年12月13日火曜日

明星



角田の産直生産者、小野さんのいちごハウス。

今年から省エネの灯りに変えたそうです。


台風の影響で畑が冠水したため、いつもより一月ほど遅れています。赤い実はまだちらほら。ひとついただきました。

9分着色で収穫、出荷。ほぼ完熟。
だからおいしい。

いちごを食べて、少しでも明るい気持ちになってくれたら、こんなに嬉しいことはないよ。

そんな風に、小野さんが言っていました。


ハウスの上で、煌々と、宵の明星が光っていました。

2011年12月12日月曜日

煙草は吸ったことないですが。

新しいことを始めるのは、実は案外簡単なことだと思います。

むしろ難しいのは、続けること。

あれや、これや。
身に覚え、山のようにあります。
情けないから、ここには何も書かないけれど。


「禁煙なんて簡単さ。その証拠に、私は今まで100回も禁煙したことがある」
(バーナード・ショー)

2011年12月11日日曜日

close friend

高校時代からの親友が結婚しました。

いい加減でぶっきっらぼうで怒りっぽくて乱暴ものなのですが、そのくせ変に生真面目で、そしてかなりの照れ屋で、実は案外小心でいながら、けれど常にブレない何かを、僕が持っていない何かを持っているようなヤツでした。

放課後の音楽室で初めて会った15歳の春から、気づいてみれば22年も経ちました。

話題は変わったけれど、僕たち自身は、変わったような、何も変わっていないような。
少しは大人になっているような、まったく成長していないような。

たぶん、似たような歩幅で行きつ戻りつしているから、合うのだと思います。


親友であること、仲間であることに約束はありません。何か信じられるものがあるから、一緒に喜んだり、涙を流したりするのだと思います。

とても不確かなのに、確か。
人のつながりとはおもしろいものだな、と思います。


披露宴が昼の12:30から始まり、いろいろありながら、最後の店を出たのが4:30。家に着いて5:30でした。翌朝の、です。こんなに飲み続けたのはたぶん初めてです。

嬉しい一日でした。


2011年12月9日金曜日

感謝のいちご


宮城県の最南端、山元町でいちごを作っていた岩佐さんは、津波で家もハウスもすべて失いました。

あの日。
地震が起きた後、海の近くの消防団の詰め所にいたんだ。バキバキッという松林が折られる音が聞こえた。不思議と空が明るくなった。松林の上に見える波頭。その波頭に西陽が反射して一面が明るくなったんだと、あとで思い当たった。目の前で自分のハウスが新聞紙のようにくしゃくしゃになる横を、車で逃げた。あとはあまり覚えていないね。

地震直後は、畑もないしやることもないから、消防団の法被を着て交差点で交通整理を始めたんだ。でも俺は百姓。やっぱり自分にはいちご作りしかないからね。岩沼、名取と作れる場所を探したんだ。


そんな経緯で、いろいろな縁から、仙台市の少し北、大和(たいわ)町でハウスを貸してくれる人にたどり着いたのだそうです。
自宅に家族を残し、単身ここで自炊をしながらいちご作りを始めました。
最初の1週間は一人暮らしも旅行気分で楽しかったよ、でも最近は飯作るのも面倒でね、と明るく笑う岩佐さん。

いろんな苦労があるけれど、一番は水だね。
ここ(大和町)の水はアルカリが強くて、いちごが微量要素を吸ってくれないから大変だよ。
日照量も違うし、まず寒い。氷点下10度になるって本当かね。
いちごは最低8度は必要だから、保温も大変だ。



たった一人で5棟のハウスを管理しています。でも今までと比べたら1/5の面積だそうです。

地震が起きた頃はこれからイチゴの最盛期、という時期でした。
だから、地震直後、天気がよい日にやることがないのが切なかったそうです。雨が降ろうが風が吹こうがハウスを心配しなくてもいいのが、なんとも物足りなかったそうです。

だからなのでしょう。


とても前向きで、明るく、力強い岩佐さん。
たくさんの人のおかげだよ、この土地の人にも本当によくしてもらった、と何度も感謝の言葉を口にしていました。


植え付けも遅れたし、養分はうまく吸いにくいし、寒いし、日暮れは早いし。
出荷は年明けになりそうだ、とのこと。今までより2ヶ月くらい遅い。

岩佐さんが一人で作り直したハウスの中で、これから赤くなるいちごがいくつも実っていました。


2011年12月8日木曜日

月光環

今日は朝からとにかくみかんを食べて食べて食べました。
続けざまに13個目を食べたときは、ふぅ、とついたため息もオレンジ色になっている気がしました。

13個はまだ道半ばです。もう一息です。

食べることで、いろんなことが分かります。
食べることは、勉強です。
食べることは、大切な仕事です。

朝、市場でJAながさき西海の永田副部会長と、生垣選果場長とお会いしました。
ここのところ気温が高く、降水量も多めのため、いろんな影響が出ていると聞きました。
鳥獣害は昨年ほどひどくないそうで、その点は安心しました。

さすがにもう今日はみかんはいいや、と思いながら帰宅したら、見慣れた青い5kg箱が届いていました。
今日は我が家の宅配の配達日だったのでした。

さっきまで、みかんは今日はもういいやと思っていたのに、やっぱり。
どうしても気になり、箱を開け、そしてやっぱり気になるからつい食べてしまいました。いきおい5個も。

やっぱりおいしいな。おいしくてよかった。安心しました。

でもまだこれからです。



一面薄く雲のかかった空には、2日後に満月になる月が、月光環(げっこうかん)を作っていました。

2011年12月7日水曜日

交流集会で思ったこと

今日、仙台市内で、組合員と生産者と産直に関わるみんなが一同に会す、産直の交流集会がありました。
総勢1250人が集まり、そのうち約800人が組合員さん。宮城県内全域からの参加です。

分類は「果物・野菜・米・梅干・大豆・豚肉・鶏肉・大沼牛・牛乳・鶏卵・水産」とすべて。ほとんどの産地が宮城県内です。

果物では、数少ない県外産地として、山形朝日町の大谷果樹組合のみなさんが駆けつけてくれました。
奥山さんが作ってくれたスペシャルDVDを設置し、りんごをそろえ、準備万端です。


昼休み、ブースを覗いてみると。


すでに人だかりが出来ていました。



生産者の遠藤さん、説明しながら、シナノゴールドを切る、渡す、切る、渡す、切る渡す切る渡す切る渡す・・・。

味もお話も大好評でした。
「サンふじ」はもちろん、「シナノゴールド」、「あいかの香り」が人気。
産地がわかるDVDも好評でした。

来場者のなかに産直ツアーに参加された方もいて、おお久しぶり!と再会を喜んだりしました。
いつも買ってるよ!と言ってくれました。


農産の分科会では、被災が甚大だった石巻のいちご、きゅうりの生産者、岩沼のレタスの生産者など沿岸地区からは、これからに向けての報告がありました。
また、県南のいちご、梨の産地、角田、丸森地区からは放射能についての不安と対応などの報告がありました。
大谷果樹組合の白田組合長からは、地震直後から宮城へ支援いただいたこと、りんごが極端な不作だということが報告されました。


分科会で思ったこと。
たくさんいい報告はあったのですが、やはり報告は報告。どうしても一方的なものになってしまいます。大勢の中でなかなか質問だってしにくいし。
会の進め方もあるとは思いますが、それはそれとして、やはり、もう一度、むしろこれからもっと、多くの人に産地に足を運んでもらい、いろんなことを知ってもらいたいと思いました。
それは、ボランティアでもいいし収穫体験でもいいし、通りすがりでもいいと思うのです。

すべてが変わってしまったからこそ。

そう思いました。

2011年12月5日月曜日

ときめきますか

嫁さんに、「ときめく?」と聞かれました。

家の大掃除で、いるものといらないものを分けていたときのことです。


「へ?ときめくって?」

「ときめくってことは、ときめくってこと。それ、今持っている服、ときめく?」

「・・・ときめ・・・かない・・。」

「じゃ、ありがとうって言いながら、捨てよう」

「・・・うん」


こんな感じで、どしどしゴミ袋へ。

TVで見た近藤麻理恵さんという片付けコンサルタントの方の片付け術に感動したようです。
彼女によると、片付けのポイントは「一気に、短期に、完璧に」なのだそうで、捨てる・残すの基準は「ときめき」なのだそうです。


そこそこときめきつつも、片目をつぶりながら見よう見まねでいろいろ捨てました。

部屋中ひっくり返していると、思いがけず、いろいろな自分にも出会いました。

就職活動時のパンフレットが出てきました。14年前の自分のメモがいくつも残っていました。
自分の人生を、もしかしたら初めて真剣に考えていた時かも知れません。
あの頃の情熱を思い出し、「残す」ラックの隙間にそっと入れておきました。

きっとあとでいくつかは後悔するんだろうなぁなどと思いながら、時々ときめきながら、時には両目もつぶりながら、一人黙々と分別を続けました。

片付けは、自分と真正面から向き合うことでもあるんだなぁと思いました。

着々と捨てる袋は増えていきます。
いい調子です。でもまだまだです。

2011年12月2日金曜日

四つ葉

僕が担当している委員会の組合員さんから、四つ葉のクローバーを写した写真を頂きました。

地震の日海岸をジョギングしていたその方は、奇跡的に津波から逃げ切りご無事でした。
後日、四つ葉のクローバーが群生しているところに遭遇、摘み取ったクローバーだそうです。

四つ葉のクローバーの小葉にはそれぞれ、希望、誠実、愛情、幸運、という意味があるそうで、初めて知りました。
三つ葉10000本に対し四つ葉はたった1本しか見つからない、それほどの確率だそうです。

いつもとても元気で若さみなぎる方なので、震災後体調をくずされたと聞いてびっくり。でもその時のことも明るく朗らかにお話されていました。

今度の土日は部屋の大掃除をしよう。
そして、いらないものを捨てたら、頂いた四つ葉のクローバーの写真を飾ろうと思います。

2011年12月1日木曜日

大安吉日

先週の金曜日(11月25日)、茨城は干しいもの大産地、ひたちなか市へ行って来ました。

干しいもになるさつまいもは10月中旬から11月にかけて収穫されます。
でもすぐには干しいもにはしません。
なぜってさつまいもは掘ってすぐはおいしくない(甘くない)ので、ちょっと寝かせて甘くしてから作業するのです。

だから、僕達が訪れたその日はまだほんの数軒が作業していた程度で、ほとんどの家では干しいも作りは始まっていませんでした。


久々に、3年前の1月に産地に来た時の写真をひっくり返して見てみました。

そうだった。こんな感じだった。

蒸かして、皮むいて。

スライスはピアノ線で。
こんな感じに。

干しいもにするさつまいもは「玉豊(たまゆたか)」という干しいもにむいた品種がほとんど。蒸かしたてを頂きましたが、実はあまりおいしくありません。

これを、すだれに並べて、天日の下で、干す。
7日間。

お日様の力で、あの微妙な薄味の蒸かし芋が、びっくりなほど甘くなるのです。

素材の芋の味が一番大切なのですが、蒸し方、干し方、どれも熟練の業が必要なのです。


今年は芋の仕上がりもまずまずよろしいようで期待できそう。
去年は干ばつと暑さのせいで芋の収穫が平年の30%減で、さらには品質も厳しかったので、農家のみなさんは散々だったはずです。


今年は多くの干しいも農家のみなさんが、まさに今日、12月1日に加工作業を始めるということでした。

なぜなら、今年の12月1日は大安だから、だそうです。

そういえば、産地を訪れた11月25日も大安でした。
だからちらほら作業していた人たちがいたんだなぁ、と今にして思いました。

昨年の不作があったから、今年はなおのこと、祈る気持ちは強いのだと思います。


何かを始める日。

うまくいきますように。
上手にできますように。
怪我なく事故なく、つつがなくいきますように。

みんな、いろんなことを祈っています。


2011年も、残すところあと1ヶ月です。

2011年11月23日水曜日

寄り添う

小学3年の娘と風呂に入ったとき、質問ゲームなるものをしました。

代わる代わる相手に質問をするだけなのですが、基本的に、娘本人が聞いてもらいたいことをまず僕に聞き、自分の言うことを言う、というもの。素朴な質問がほとんどです。

「好きな果物は?」と僕に聞いておいて、僕が答える。
なんとなく同じ質問をしなければいけないような気がして、「じゃぁ、好きな果物は?」と僕が聞く。
「えっとねぇ・・・、マンゴー!でもさっき食べたみかんも好きだな」などと、待ってました!とばかりに彼女が答える。

これの繰り返しでした。

「好きな色は?」「嫌いな色は?」
「嫌いなことは?」
「好きなお弁当の具は?」
「嫌いな野菜は?」
「好きな県は?」

どのへんがゲームなのかは分かりませんが、面と向かって聞かれると、素朴なだけにすぐに答えが見つからないものばかり。自分に嫌いな野菜がないことに、初めて気がつきました。彼女が好きな県は千葉県だそうです。もちろんTDLがあるからです。そもそも千葉県以外はあまり知らないようです。

普段あまり一緒にいることが少ないので、おかげでいろいろ分かりました。結構意外だったりもしました。
今はまだ会話があるけれど、その内なくなっていくのでしょう。そうなる時まで、たくさん話そうと思いました。

相手のことを分かる、ということはとても難しいと思います。
会話があっても通じないこともある。
たくさんサインを送って来ていても、こちらが気づけないこともある。
気づいていても、流してしまうこともある。

それは、親子でも、兄弟でも、友人とでも、職場でも、みな同じことだと思います。
自分に近い人ほど、分かっているようで分かっているつもりになっていることが多いかもしれません。

いろんなことや人に今よりもっと寄り添っていこうと思います。

2011年11月22日火曜日

ただ、遠いだけ

北海道訓子府(くんねっぷ)から、産直の玉ねぎ、じゃがいもの生産者のみなさん9名が来仙されました。

組合員と直接触れ合うため、配送トラックに同乗しよう!という企画です。
去年からこの話はあり、今年実施の運びになりました。

ただトラックに同乗して交流をするだけではなく、今回は、津波の被害が甚大だった石巻支部のエリアを同乗し、未だ仮設住宅で暮らす組合員さんへ、励ましの言葉をかけながら自分たちが作ったじゃがいも、玉ねぎを手渡しししようということになりました。


配るじゃがいも・玉ねぎに封入してある、メッセージと、生産者みんなの気持ちのこもったリーフレットです。

【特別栽培玉ねぎ生産者 平田さん】
この度の東日本大震災で真っ先に思い浮かんだのは、我々の農産物を使用して下さっている組合員の皆様の事です。
サンネット産直に取り組んでいるからこそのつながりを深く感じた瞬間でした。我々の出来ることは、より安心・安全な玉ねぎを皆様にお届けし、復興に向けた活力の一助となる事だと思います。
「心はひとつ、つながっているよ!」

【特別栽培男しゃく生産者 斎藤さん】
被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。
早いもので、今年もじゃがいもの収穫を終えることが出来ました。
「食べる」ということは、「生きる」という事だと思います。そして、おいしいものを食べるという事は日々の生活の中で楽しみの一つだと思います。
そんな食材の一つとして私たちの特別栽培男爵芋を選んで頂けると、生産者としてはこの上ない幸せです。
「皆さんに一つでも多くの笑顔が生まれますように。」


リーフレットのメッセージを読んで、ただ距離が遠いだけなんだな、って思いました。

久しぶりにみなさんとお会いできてとても嬉しかったです。
きっと組合員さんも喜んでくれると思います。

2011年11月20日日曜日

行ってらっしゃい。

理由ありりんごの目線あわせで、夕方、山形の大谷果樹組合に来ました。

18:20。

たまたま出荷の時間に重なりました。



7人の生産者が収穫、選別したものを、7人でトラックへ丁寧に丁寧に積む。


このトラックは100km離れた宮城のセンター行き。

あの日の地震であちこち大きく波打っていた高速道路のアスファルトは、以前よりは落ち着いて来ましたが、でもところどころまだガタガタです。

りんご同士が激しくぶつからないように、押されないように、配慮して詰められたりんごのコンテナ。


待っている人のところへ、さあ行ってらっしゃい。

2011年11月19日土曜日

有田



不思議。

全国的に不作のはずなのに、特にこの地域は厳しいはずなのに、です。
このなり。この味。この紅。
普通なら味のぼやける2Lサイズでも、この食味。残る余韻。

味が濃い。おいしい。

今回もまた、たくさんの秘密を教えて頂きました。
おまけに、来年のことまで、こっそり教えて頂きました。

不思議だけれど、不思議じゃない。でも不思議。

日本には、そんな産地もあるのです。

2011年11月17日木曜日

黒い柿

和歌山県紀ノ川市。

通称黒い柿、紀ノ川柿。

見た目は普通の柿ですが。

切ると。

黒い。

普通の平たねなし柿を、樹にならせたまま、ひと手間もふた手間もかけて渋抜きしたものです。
収穫も2~3週間遅らせ、より熟させてから収穫します。

樹上で完熟しているのに、なぜかこんなにパリッとしていて。
とにかく甘くて、うまい。

最高にうまい。とくかくうまい。あ゛ーうまい。う゛ーうまい。

紀ノ川で紀ノ川柿を食べる。
ホテルの窓から和歌山城が見える。


とても贅沢です。

2011年11月16日水曜日

三ケ日

静岡県三ケ日(みっかび)。

年明けに出回る「青島みかん」の一大産地です。

三ケ日インター降り口には、三ケ日のキャラクターミカちゃんがお出迎え。
街道沿いにはお店から、看板から、バス停の配色まで、町中いたるところみかん一色です。

ここ三ケ日地区は年間を通して日照量が非常に多く、またすぐそばに浜名湖があるおかげで冬でもあまり気温が下がらないため、みかん栽培にはとても適している地区。水と緑と太陽に恵まれています。


園地全体で太陽を浴びていました。日当たりの良さ、実感を伴って納得です。


青島みかんは静岡生まれの品種で、大玉で味が良い、という特徴があります。平べったい形も特徴的。早生種(11月頃から収穫、出荷されるみかん)に比べてゆっくり育つ、後から出てくる品種です。

今回訪れた園地ではけっこう色付いているものもあれば、まだこれから色付くみかんもありました。収穫は12月からで、12月中に全部収穫し、静かに貯蔵しながら3月ころまで出荷していきます。

今食べても充分おいしいのだけれど、まだもっと美味しくなります。

三ヶ日町柑橘出荷組合の竹平組合長。
「いろいろなみかんの産地を見てまわっていますが、自分たちの産地は本当に環境に恵まれていると思います。ここに生まれて、ここでみかん作りが出来て私は本当に幸せです」

高台からみかん園地を眺めながら、しみじみお話されていました。

産地のみなさん、東北のことをとても心配されていました。
今年はみかんが想像以上に不作で、静岡も大変だよ、という噂を聞いていたのですが、そこまで極端ではありませんでした。実際に来て分かることが沢山あります。
とてもいいお話が出来ました。


黄昏ぎりぎりまで、みかんたちは陽を浴びていました。

青葉通りと名残の月


仙台駅前から青葉城方面へまっすぐ伸びる青葉通り。

春には競うように茂っていた並木の青葉も、今ではすっかり役目を終えて、枯葉になって濡れた舗道を覆っていました。

西の空に沈みそこねた昨日の月が残っていました。

今朝方、我が家から遠く西方に見える七ツ森という7つの山々には、早くも雪が積もっていました。

はるか北の町ではすっかり冬景色のようです。

これから静岡へ向かいます。

2011年11月14日月曜日

引き出し

少し前に、「私の震災体験を募集します」ということで、電話インタビューを受けました。
やわらかい声のお若い(風の)女性でした。

話していくと、いろんなことを思い出していくもので、思い出しながら、忘れていたことに驚くこともしばしば。日常意識しないだけで、分別し切らないまま、引き出しにしまい込んでいるようです。

ちょっと聞いた話しによると、人の脳の記憶容量は「1.25TB(テラバイト)」もあるのだとか。DVDなら約240枚分、メモ用紙なら5億2800枚にもなるそうです。

インタビューに応えながら、「忘れる」ということは、引き出しにしまったこと自体を「忘れる」ということであって、しまったものが消えてなくなるということではないのだな、と思いました。
1回しまい込んだら、たまたま一生その引き出しを開けないこともある。そういうことなのでしょう。あんなに印象深い日々のことですら、そうなのですから。

インタビュアーさんは丁寧に僕の(思いがけない)引き出しを、いくつも開けていきました。

聞き上手は、自分でも気づかないことに気づかせてくれる、引き出しの開け上手。

最後に、「今一番ありがとうを言いたい人は誰ですか?」と聞かれました。

僕の引き出しは、とても自然に滑らかに開いたのでした。

2011年11月13日日曜日

Live!


高校の吹奏楽部時代の友人が活動しているバンドのライブに行きました。
トロンボーンやソプラノ、アルト、テナー、バリトンサックスなどホーンセクションもいっぱいいて、11人の大所帯のバンドです。僕の弟もギターで参加しています。

けっこう人気があってライブハウスはぎっしり満員でした。
身内ではありますが、かなりうまいです。
リズム感が皆無の僕も自然と体が動きます。我ながら情けないほどぎこちなくではありますが。

ステッカーやカレンダー、CDなども売っていたのでしゃあねぇなと全部買いました。
全部買った特典として、弟のサインが貰えるということだったので、特典は丁寧に遠慮しました。

プロではないのでみんなそれぞれいろいろありながら続けています。
それでも、この瞬間だけは、そんないろいろから切り離されて思い切り弾けていました。
たぶん聞きに来ていた人たちも。

まさに“Live!”って感じでした。

音楽はいいなぁ。

2011年11月12日土曜日

0.002%のりんごたち


青森県弘前市旧相馬村。

アップルロード沿いに見えるりんごの樹はほとんど収穫を終えていました。
でも僕たちが訪れたりんご畑には、まだ多くのりんごが樹にとまっていました。品種はふじ。

ここでは、この産地の全体の出荷量のわずか0.002%だけを、霜が降りるぎりぎりまで樹にならせ「完熟」のりんごを作っています。

葉が黄色く枯れているのは、その葉が養分を作るという役割を終えたということ。出来ることならすべてのりんごをそうしたいのですが、なにせここは青森。霜が降りるとここまでならせたりんごがパーです。ぎりぎりのリスクと常に隣りあわせなのです。


とてもとてもおいしかった。

ただ、今年はりんごが全国的に超大不作。
産地によっては前年の50%なんていうところもあります。
そんな状況だから今年は、普段の年なら流通しない味もしない超々小玉のりんごまで、信じられない高値で相場がついています。

去年の猛暑で翌年にりんごになる「花芽」が少なかったのが原因。
これが「花芽」。
前年の7月ころに次の年のことが大体分かるそうですが、今年は予想をはるかに下回る数量だそうです。今の状況から見ると来年は期待できるようです。

選果場では、一足先に収穫されたりんごたちが、箱詰めを待ってひしめきあっていました。じっと見ると、やっぱり何かがやがや話しているようです。


最後の収穫まであと少し。
樹にとまっている0.002%の彼らは、今からまださらに美味しくなるのです。