2011年5月30日月曜日

熊谷さんの思い

全農みやぎのジュニア野菜ソムリエ、熊谷さんと久しぶりにお会いしました。
熊谷さんに扱っていただいている、亘理のいちごについて聞きました。



亘理は東北で一番のいちごの産地で、今回の津波で約400戸ある生産者のうち95%が甚大な被害を受けました。亘理で一番出荷量のある吉田地区で無事だった生産者は0件。次に多い山下地区でも、2件の生産者だけが無事で、産地全体がほぼ壊滅状態です。

こんな状況の中、もう一度作るぞ!と再起を誓っている生産者が1/3くらいいらっしゃるそうです。また、作りたいけれどハウスどころか住む家もないし、と今葛藤の中いちごづくりを迷っている方々も1/3くらいいらっしゃるそうです。

私たちが産地を支えていかなければ行けないんです。
熊谷さんは静かに、でも力強く、そう言うのでした。

苗の確保でも大変なことです。今年植える苗も、津波で流されてしまったわけですから。それを全農みやぎさんはとにかく全力で集めているそうです。産地の再起のために。こんな苦境で前へ進もうとしている人達にできることはなんでもする、という意気込みでした。

いちご担当として、JAみやぎ亘理へ常駐していた時期もあり、いちごと、産地を思う気持ちは人一倍強い熊谷さん。

再起の陰にはたくさんの熱い想いがあるのです。

2011年5月28日土曜日

乾杯!

今日は次女の6歳の誕生日。

素敵な1年になることを祈って。

乾杯!

2011年5月27日金曜日

東京の中のみやぎ

渋谷から次の約束の場所へ向かう途中、池袋で途中下車しました。
目的地は、宮城県のアンテナショップ「宮城ふるさとプラザ(COCO MIYAGI)」です。

池袋駅東口から徒歩2分。
小さな店内には、たくさんのお客さんがいました。レジに列をなし、後から後からひっきりなしにお客さんが入ってくる。店頭に山積みされていた「萩の月」を見て、若い女の子達が指をさしてあったあった!と喜んでいました。

店の奥には牛たんを食べられる「伊達の牛たん本舗」が入っていました。満席でした。
店頭では女川から魚屋さんが来て三陸のわかめなどを試食販売していました。

店内はみやぎでいっぱいでした。
1300品目あるそうです。

笹かまぼこもありました。
ずんだもちもありました。
地酒もいっぱいありました。一ノ蔵、浦霞、澤乃泉の大吟醸もありました。
みやぎの米、ひとめぼれがありました。
1合に個包装された無洗米が3連になっていました。袋をあけてそのまま使えるのでアウトドアにもどうぞと書いてありました。お試しにもちょうどいいですね。
油麩がよく売れていました。
白石うーめんもありました。
みやぎ生協の産直豚を育てている伊豆沼農産さんの伊豆沼ハムもありました。2009年に日本農業賞大賞を受賞した一生懸命な産地です。
戦国バサラの特設コーナーもありました。人気らしいです。
仙台箪笥、こけしなど民芸品もいっぱいでした。

びっくりしました。
ふるさとのパワーがいっぱいでした。
それ以上に、お客さんが元気でした。みんなたくさん買っていました。

作る、売る、買う、食べる、広がるの連鎖が、目の前にありました。
そして、表現はふさわしくないかも知れないけれど、今は宮城を、東北の魅力を知ってもらう、最高の機会でもあると感じました。

僕もTシャツを一枚買いました。
僕と同い年で、同じ市立の高校だったサンドウィッチマンの二人が作ったTシャツです。売上の全額が義援金になります。

農産部会

日生協で全国の事業連合の農産バイヤーが集まる会議(農産部会)があり参加してきました。

通常は各事業連合の業績や取り組みの報告、交流があるのですが、今回は冒頭に時間をいただき、この間のご支援に対する感謝と、3.11で全てが止まってから2週後の25日に緊急チラシを印刷するまでの経過、現在取り組んでいる「がんばろう福島農産品応援ボックス」のこと、今回のような緊急時の産直産地への対応についての提案、これから考えていることなどをお話させてもらいました。

みなさん、とても真剣に聞いてくださいました。
そして、一つ一つに暖かく頷いてくれました。

実際に支援活動に泊まりこみで来てくれたコープ九州事業連合の本川さんや、4.7の震度6強の余震当日にお見舞いに来てくれたコープ北陸事業連合の斉藤さんも出席されていました。自エリアでも大きな被災があるコープネット事業連合の橋本さんもとても心配してくれていました。橋本さんは福島県郡山出身で特別な思いもあるようでした。

とてもとても心配してくれていました。
だから、僕が全然暗くなく、いつもどおり元気だったことでみなさん「安心したよ」とほっとした笑顔で言ってくれました。


翌朝ホテルでテレビをつけていたら、「東北地方で強い地震がありました」とテロップが流れました。ドキッとしました。いわき地区で震度3の地震があったことが、その後流れました。渋谷では全く揺れていなかったから、なおさら苦しくなりました。そして、どうしてこんな気持になったか考えてみて、分かったことがありました。

自分のいるところが揺れていないと、地震の実感が全くわかないのです。だから想像だけが際限なく広がっていく。心配だけが膨らんでいく。現地にいれば、実際はその地震が時々ある余震程度だったとしても。

今回参加されていたみなさんも、そんな思いでテロップを見て、心配してくれていたんだろう。
だから、僕がいつもどおり元気だったことで、安心してくれたんだなと思いました。

「被災地から逆に元気をもらいました」と言っていただくことがあります。
ブラウン管を通してしか分からないと、良くない想像だけがパンパンに膨らみます。だから、実際の僕達が明るく元気にしていることが、膨らんだ心配とのギャップを埋めることになり、安心してくれるのだと思いました。安心することで、みなさんの元気になるのだと思いました。それが「逆に元気をもらう」ということなのかな、と感じました。

僕達の元気が、みんなの元気につながるのだと思いました。



コープしこくの丸山さん。
「今回、生協ってかっこいいなって思ったね。普通のスーパーじゃなかなか出来ないよ」
あったかい笑顔は、初めて会ったような気がしませんでした。

震災からの1ヶ月間で、全国の48生協から1900人の人が駆けつけてくれました。

全国のみなさん、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。




2011年5月26日木曜日

若葉のころ

仙台駅からまっすぐのびる青葉通り。
杜の都のシンボル、欅並木はたくさんの若葉を茂らせています。
朝の7時半、会社へ急ぐ人達も心なしか爽やかに見えます。本当は深刻な二日酔いの人もいるのかもしれませんが。

Cafeもモーニングの準備です。
木漏れ日が眩しいです。



仙台は、いいところですよ。
これからもっときらきらした季節になります。
今年の夏、ねぶたや竿灯など、東北6県の祭りが仙台に集合します。
たくさんの人が来てくれると嬉しいなと、仙台駅へむかう欅並木の下を歩きながら、そう思いました。

今から渋谷へ向かいます。

2011年5月23日月曜日

ほんの気持ちです。

地震が起きてから、僕達一家はしばらく奥さんの実家に身を寄せていました。

我が家は電気こそ1週間で回復したものの、水道は3週間、ガスは5週間止まっていたのですが、奥さんの実家は復旧が早く、確か震災1週間後くらいには風呂にも入れたような覚えがあります。

あの時は、町の床屋さんや美容院が「洗髪500円」と紙を貼り出して、貯めた給水をプロパンガスで沸かして髪を洗うサービスなんかもしていました。
あそこの温泉は風呂に入れる、あそこのスーパー銭湯がやっているらしい、などがみんなの話題になっていました。
老若男女、髪すら洗えない日々が続いていたのです。でも、沿岸部を思えば、誰も殊更に不満は口にしませんでした。

ご近所さんの間で、もらい湯も多くありました。プロパンガスは生きていたから、水さえ戻ればお風呂に入れる家もあったのです。
奥さんの実家も風呂再開は早かったほうなので、近所のおばあちゃん家族にお風呂を貸してあげたことがありました。義母が困ったときはお互い様です、と貸してあげたのですが、涙を流さんばかりに喜ばれました。震災後、初のお風呂だったそうです。大人3人、かなり気を使って水もかなり抑えて洗っていたようです。

後日、「あの時は本当にありがとうございました。ほんの気持ちです」と、立派な毛ガニを4ハイも頂きました。郷里の北海道からたくさん送ってきたから、ということでした。
そのお返しに義母は笹かまぼこを上げていました。


遠くの親戚からも、米、水、カップラーメン、トイレットペーパー、紙コップ、乾電池などなどたくさんの支援物資を送ってもらっています。ご近所さんからも、山菜や野菜などをもらいました。
義母は、助けていただいたみなさんに、笹かまぼこや、山形のさくらんぼを送るつもりのようです。


昔は、「お互い様」、「おすそ分け」などは当たり前だったのでしょう。集合住宅でそれぞれが干渉せずに完結している今の生活では、それらは希薄になっていました。
今回の震災は、遠くの人、近くの人、みんなとのつながりがはっきり目に見えた気がしました。

僕達世代の間ではすっかり存在感のない「お中元」「お歳暮」という文化も、もとはこういうことの現れ、延長線上にあった、ごくごく当たり前のことだったのかもしれません。


「ほんの気持ち」のキャッチボールが、そこここで今また始まっている気がします。

2011年5月21日土曜日

特別な運動会

今日、長女が通う小学校の運動会がありました。
震災の影響で中止も検討されていたようですが、内容を変更、縮小して無事開催されました。

例年は、学校と学区民の合同運動会で、クラス対抗ではなく地区対抗で競っていました。今の仙台市内では珍しく、うちの小学校は昼にお弁当を持参し家族で昼食を食べる昔ながらの風景が残っているのですが、今年は学区民合同は中止し、昼食もなし。午前中でお開きです。全9競技の内徒競走で6種目と内容も極めてシンプル。万国旗などの飾りもありません。

それでも、開催出来たこと自体大きな意味があると思いました。
県内では運動会どころか、通常の授業もままならない地区もまだまだあると思います。それを思えば本当に恵まれていると思います。

今年の運動会のテーマは、「自分の力を信じて、精一杯戦おう」。
1年生にとっては初めての、6年生にとっては最後の運動会です。

先生たち、PTAや地域の人々の思いが込められた運動会。
当たり前だったことが今はどれも特別です。

薄曇りの下、子供たちの躍動がとてもまぶしく感じられました。

2011年5月19日木曜日

北国の春


話は聞いていましたが、今年北海道は全然暖かくならず、全てが遅れているようです。

富良野へすいかのお話をするため訪問したのですが、今年はすいかの作業が遅れていると聞きました。すいかの生産者は玉葱も作っている方が多いそうなのですが、玉葱の苗の生育が遅れているため、すいかのために育苗ハウスが使えないそうです。なるほど。すいかの事だけを聞いても分からないことです。勉強になりました。
それを踏まえて、とてもいいお話をさせていただくことが出来ました。
JAふらのさんも、東北のために力をいただけるとお約束いただけました。ありがたいことです。


増毛では、さくらんぼの花がちょうど満開でした。
今日から満開になり始めたね、と産地の方はお話されていました。いつもより3日遅れだそうです。でも、全然気温が上がらないから蜂が飛んでくれない、不安だねと嘆いていました。
きれいに整地された畑は、7月の後半に実る予定。これもお天気しだいです。
近くに見えた暑寒別岳はまだまだ真っ白。完全な冬山の姿でした。今の時期、こんな山の姿はあまり見たことがないそうです。

待ちわびた春。明るい季節になることをみんな祈っています。

2011年5月18日水曜日

かすがい、それは。


山梨県甲府盆地のほぼ中央にある笛吹市春日居町。

ここは桃の一級産地です。
市場評価でも毎年頭ひとつ抜きん出ている、桃の価格のリーダー的産地でもあります。
味、色、大きさ、店持、それらすべてが常に安定しています。
JAフルーツ山梨の春日居支所で、その秘密をたくさん教えていただきました。

特殊な土。日本有数の日照量。少雨。厳しい選果。生産者の手数。全品種全玉袋がけ。全ての作業を行うタイミングの見極め。その技術。不変の糖度基準。厳しい選果場の箱詰ルール。

他と違う理由があるから、他と違うのです。

今年は今のところ天候に恵まれ、豊作傾向だそうです。
開花の遅れも、ここのところの好天で、去年並みに追いついてきたそうです。


果物販売にとって、特に今年は厳しい、厳しい年になると思います。
どうしても嗜好品の果物は後回しにされるからです。
でも、そんな経済的にも厳しい情勢の中、あえて果物を選んでくれる人がいるなら、その人達の期待を裏切るわけにはいきません。もちろんいつもですが、特に今年は。

だから、日本一の産地にお願いしてきました。
東北で待っている人達のために、おいしい最高の桃を出荷してください、と。
快諾いただきました。


頂いた資料に、とても印象的な言葉がありました。


「かすがい」それは環境に恵まれた果樹産地

「かすがい」それは匠の技と最新技術の融合

「かすがい」それは自然とともに生きる農業

「かすがい」それは心豊かにする最高級果実


きっと、果物にしか出来ないこともあると思うのです。
心、豊かに。

2011年5月17日火曜日

おとなの味


仙台駅で、表紙に惹かれて購入しました。
平松洋子さんの「おとなの味」です。

春先の味、ひなびた味、ひとりの味、きれいな味、消える味、もうしわけない味、泣ける味、世間の味、ぬくい味、再会の味、歳月の味、わたしの味。。。。。

いろいろな「味」のエッセイです。

「奢った味(おごったあじ)」という項で、祭りの縁日で売られている焼きそばやたこ焼きなどが語られていました。奢った味、とはちょっと贅沢、という意味合いでしょうか。
100円だけを親からもらって、おいしそうな屋台がひしめく中、どれか一つだけしか選べなかった。大人になった今でははしごが出来る。ちょっと贅沢だなぁ、という感じ。

日常の何でもない食べ物でも、状況しだいで素晴らしいごちそうになります。
この間、それがしみじみ分かるのです。

白く温かいごはん。アツアツの味噌汁。
それだけで涙が出ることもあるのです。

これって実は、最高の贅沢かもしれません。

これから、山梨へ向かいます。

2011年5月15日日曜日

引き分けだとしても。


初めてベガルタ仙台の試合を見に行きました。
想像していた以上に楽しく、興奮しました。
実際に見ることは大切だとつくづく思いました。


ベガルタの選手たち、3人か4人くらい試合中に足をつってタンカで運ばれていました。それでもみんなまたピッチに戻ってきていました。試合にかける熱い想いが伝わってきました。

結果は3対3の引き分け。
なんとも惜しい試合でした。

試合終了後、ジュビロ磐田のサポーターたちが掲げたメッセージ。

「杜の都から世界中を照らせ 仙台」
「一人一人の願いが被災地のみなさんに届きますように!!」

ベガルタの選手たちは、彼らへ向かって深く感謝の礼をしていました。


スポーツって素晴らしい。そう思いました。

2011年5月14日土曜日

さくらんぼ

山形県寒河江に行ってきました。
今年のさくらんぼの第2回打ち合わせです。

去年は春先の低温で遅れ、6月の高温で色が着かずと大変な年でした。
今年は・・・今年も大幅に遅れる見込みで、すでに花の開花で1週間遅れています。
冬期間の記録的な豪雪や低温が影響しています。ピークは7月の第1週の見込みです。これからの天気次第でもありますが。
でも、数量は豊作のようです。花の数も多くたくさん咲いていました。期待大です。

産地の方に、花の数ではなく、花そのものを見て分かる豊作傾向の見方を教えてもらいました。
下の写真のような花が多いと、今年は豊作だ、と言われていて、ほとんど外れないそうです。

じーーーーーーっと見ましたが、何も分かりませんでした。

答えは、「めしべの数」でした。
よく見ると、めしべが2本あるのが分かります。
めしべが2本あると、「双子のさくらんぼ」になります。さくらんぼ同士がくっついているあれです。子どもには人気ですが、農家には不人気です。
この「双子のさくらんぼ」が多い年は、必ず豊作になるそうです。JAさがえ西村山の細谷さんに聞きました。

なぜ今年はこれが多いのですか?

去年の夏、暑すぎたでしょう。樹自身が危機感を持って、たくさん実をならせないとダメだ!と思ったようなんです。だから普通一つの花に一つしかないめしべが、2本あるんです。見られるのは今時期だけです。これらの花は、すぐに摘まれてしまいますからね。

へぇぇぇぇぇっ!。

とっても驚きました。
さくらんぼも、静かに頑張っているのです。必死さが伝わってくるようでした。


今年は、ハウスのさくらんぼが極端に遅れていて、今時期で前年の66%しか出荷されていません。
理由は大震災。燃料がなく、凍らせない程度(1℃)にしか、加温が出来なかったからです。
それでも、ハウス内では真っ赤なさくらんぼがたくさん実っていました。
つまみ食いさせて頂いたさくらんぼは、一粒なのにとてもとても甘く、幸せな気持ちになりました。

下の写真は「紅秀峰」という、露地であれば佐藤錦の後に出てくる品種。赤色が濃く、おしゃれに言えばまるで赤い宝石のようです。ハウス栽培で今なっていました。最近人気のとってもおいしい品種です。

もう少しで、この宝石達は、多くの多くの人達を幸せな気持ちにしてくれることでしょう。
季節の巡りが待ち遠しいと思いました。

2011年5月8日日曜日

うつくしま、ふくしま

福島に行ってきました。

大学時代の友人が福島飯坂のフルーツライン沿いに住んでいて、よく遊びに行きました。
福島の桃は最高です。
喜多方の坂内食堂にも5回くらい行きました。まこと食堂にも行きましたね。どちらも喜多方ラーメンのお店です。おいしかった。

会津も大好きです。
小学校の頃の修学旅行は、会津、猪苗代湖でした。五色沼。野口英世記念館。鶴ヶ城。飯盛山。白虎隊。日常ではあまり役に立たない木刀を、みんな必ず買っていました。怖い先生の必携品でした。
時間の止まったような大内宿、何度でも行きたい場所です。
会津の身不知(みしらず)柿、最高です。身の程知らずな程実をならせるからこの名前がつきました。あのトロッとサクっと感がたまりません。
会津でカツ丼といったらソースカツ丼。閉まらないのにのっている蓋は、一度カツを置くための皿がわりのためです。びっくりしました。

相馬は高校時代の春合宿で毎年訪れていました。
松川浦の自然の家風のところで、3泊4日。金管、木管の響き合う音と、青い思い出がいっぱいです。一日中ロングトーンとスタッカートを練習していました。
今は津波で全てのまれてしまったようです。

福島土湯温泉近く、福島市を一望出来る場所にある、アンナガーデン。
マルゲリータのおいしいお店があります。そのためだけに何度も行きました。敷地内にある教会ではいろいろと話を聞いたものです。

天栄村のレジーナの森。
娘の初めての大仕事の舞台でした。素晴らしい環境でした。放射能の不確かな情報で天栄村の牛肉が翻弄されていました。

小野町のリカちゃんキャッスル。
去年の夏に行って以来、時々着せ替えごっこに付き合わされています。

いわきのアクアマリンふくしま。
子どもが生まれる前に、二人でふらっと行き、子どもが生まれてからもふらっと行き。大人も子どもも全身で楽しめました。
今回の震災で9割の生き物を失ったアクアマリンふくしまは、今懸命に復興中です、と復興日記にかいていました。


猪苗代湖ズ、いいです。


心ない風評被害だけは許せません。

少しでもふくしまの力になりたいと思いました。

2011年5月5日木曜日

原田さんと片桐さん



神戸から原田さんが、山形から片桐さんが、わざわざ仙台へ来て下さいました。

お二人とも、どこの産地でも生協でもお名前が上がる、僕にとっては雲の上のような方々です。
被災し現在解体中の事務所へご案内しました。
阪神大震災を経験された原田さんの言葉は深くとても暖かかったです。
それだけで、充分でした。

ありがとうございました。

2011年5月4日水曜日

星空

今日は午後から休み。

子どもの絵日記の宿題を完成させてあげるために、近所にある仙台市天文台に行きました。
入り口の星座表からもうハートを鷲掴みです。自分たちの星座を探して大はしゃぎです。

ここの天文台、プラネタリウムがメインだと思ったら、展示室がなんとも素晴らしい。

太陽系が出来るまでの46億年を5分位に短縮して見せてくれました。あっという間でした。
恒星を作る体験コーナーがありました。娘は太陽の30倍の質量の恒星を作っていました。びっくりしました。
オーロラもボタンひとつで目の前で再現してくれました。
月の満ち欠け、日食・月食も自分たちで再現できました。

大人の方が夢中になってしまいました。
子どもの頃、学研の「宇宙」という図鑑をいつも見ていたことを思い出しました。僕の中の少年が大喜びしていました。


そして、時間になり、プラネタリウムが始まりました。

太陽が西の空へ沈み、少しずつ暗くなっていきます。
最初は暗くなって怖がって腕にしがみついていた次女も、次第に広がる満点の星空に見入っていました。
風景も全て消え、星の光だけになったドーム内では、まるで浮かんでいるような錯覚を覚えました。


僕は、3月11日の夜のことを思い出していました。
県内の全てが停電し、街灯も信号も家々の灯りも全て消え、光は星しかなかった夜でした。
あの夜見上げた星空は、本当にプラネタリウムの中にいるような、初めて見る星空でした。
現実とは思えないような辛いニュースを聞いた後に見た、山際にまでかかるほどの星空は、今まで見た中で一番眩しく、悲しい星空でした。


ドーム内では、お姉さんが「かみのけ座」に秘められた夫婦の愛の物語を話していました。

昔の人が、星空を見上げて物語を紡いだ気持ちが少しだけ分かるような気がしました。

2011年5月3日火曜日

出来秋を待ってる

少し前に、訓子府のみなさんから寄せ書きが届きました。

北海道訓子府町 減農薬玉葱研究会より。


北海道訓子府町 減農薬馬鈴薯研究会より。

その夜、すぐに農協の遠藤さんへ電話をしました。

みんな書き慣れていないから、照れながら書いていたよ。

みなさんの素朴で飾りっ気のない応援メッセージから、何書いたらいいんだろう、と言いながら書いてくれただろう様子が浮かび、嬉しくなってしまいました。



一緒にガンバりましょう。私達もいい玉葱作りにガンバリます!

こだわりのおいしさ届けます。復興に向けて北海道より応援しています。(今野さん)

元気の出る玉葱届けられるよう頑張ります。頑張れ!!(斎藤さん)

自分たちも出来ることをやっていきたいと思います。頑張れ東北!!(上杉さん)

皆さんが平穏な日常を取り戻されますようお祈り致します。(森さん)

今年の秋も美味しい玉葱作りますので、復興に向けてガンバってください。(会田さん)


北海道もここ数年、毎年異常気象で、雨で橋が落ちたり、川が溢れたり、気温38度を軽く超えたり。言ってみればこれも大きな天災です。
そんな中での、みなさんの今年の決意です。
今一人ひとりが出来ることって、こういうことなんだなと思いました。


今年も、おいしい玉ねぎ、じゃがいもをみんなで待っています。

出来秋が今から楽しみです。

2011年5月1日日曜日

First of May

今日は、子ども達と2週間くらい前から準備していた奥さんの誕生日会。
実際には明日が誕生日。

この日まで、ばれないように、隠密裡に動いてきました。

密かにプレゼントを買っておき。

内緒で花も買い。

最近、なぜか司会業に凝っている上の娘は、はじめの言葉、歌とダンスの贈り物、おわりの言葉など、シナリオまで作成していました。

長女の言う事には、彼女がリーダー、次女が副リーダー、僕が副副リーダー。3人しかいないのに、僕にまで役職をくれました。

今日は奥さんのお母さん、お父さんも一緒だったので、「誕生日は、自分にとっては生まれた日。お母さんにとっては産んだ日になるんだよ。誕生日はみんなの記念日なんだよ」、と彼女たちに教えてあげました。


今回は、リーダーの完璧なリーダーシップのおかげで、大成功のうちにパーティーは終わりました。
話したいけれど、そこをぐっと我慢し、あっと驚かせる快感を、彼女たちは覚えたようでした。よく我慢しました。

そうだ、ビーズのネックレスはまだ出来てないから、母の日にあげようよ。

もう気持ちは次へ向かっています。
その調子です。