2013年5月30日木曜日

鳥取いなばの砂丘らっきょう

前回の訪問で得たものをすべて使って、使っただけの結果は出ました。

でも肝心なのはこれからです。

ということで、再び鳥取市福部町へやって来ました。


砂丘らっきょうの収獲真っ盛りでした。

右見ても、
左見ても、収獲真っ最中です。

掘り上げられたらっきょう達。

すぐ隣りの鳥取砂丘と同じ、きめ細かい極小粒の土気のない最高の砂がいっぱいついています。
この砂が、日本一の、「巻き」のしっかりした、あのシャキシャキのらっきょうを作るのです。

畑ではとにかく掘る掘る掘る掘る掘る掘る掘る掘るそしてまた掘る。

それを各農家の作業場へ運ぶ。

驚いたのは掘りあげたらきょうの運搬に使う車。

ほとんどレンタカーなのだそうですが、中国地方のレンタカーがもうほとんどここに集まるんじゃないかっていうくらい、らっきょう農家さんが借りるのだそうです。

あちらこちらにありました、広島ナンバー、岡山ナンバーが。

早いうちじゃないと売り切れ(貸し切れ?)てしまうそうです。

収穫したものを切子(きりこ)さんが根と先っぽを切って、

洗いらっきょうの原料の出来上がり。

洗いらっきょうにする切り方は、「太鼓切り」という、鳥取伝統の切り方。

5月末から6月いっぱいまでは本当に戦争のような忙しさで、らっきょうの園主さんは30人から多い人では100人以上もの切子さんを雇って作業をするのだそうです。

早い人では朝5時から夜遅くまで、ずっとずっと切り続けるのだそうです。

お給料は歩合で、沢山切れた人がたくさん稼げるのだとか。時間じゃないのです。

この切り方は品質を左右するかなり重要で、特に根の部分。

根を切り過ぎると「芯」が抜けやすくなり漬け上がりくにゃっとなってしまいダメ。

根を残しすぎると皮が剥がしにくくなることと、根が残っている分芽が出やすくなってしまうのだそうです。

ちょうどいい加減が大切で、とっても難しい。でもゆっくりもしてられない。

どれもこれも、獲りだめのできないらっきょうだからこそ。

スピードが肝心なのです。

これから加工場で洗われて、いくつかの工程を経て、
大きさを分けられて、袋に入れられて出来上がり。
洗いらっきょう、完成です。


一方根付きで販売するらっきょうは切り方がちょっと違う。
根は1cmくらい残します。先っぽも少し長めに残す。

根付きらっきょうがいっぱいです。

これらはすべて、これから人の目と手だけで大きいもの小さいもの、いいもの良くないものに選別されます。
熟練の、手と、目で。

ここが心臓部だと聞きました。

人が心臓なのです。

根付きらっきょう、完成です。


もともと僕はらっきょうはあまり(というか全く)好きではありませんでした。

でも、単純なものですね。

自分で言うのも恥ずかしくなるほど、今ではおいしく食べられるようになりました。

数年前、事務所でらっきょう漬けをした方から手作りらっきょうを分けてもらったことがあるのですが、それが最初のきっかけでした。

そして、3月と今回がさらに僕をらっきょう漬けにしてくれたのでした。


今回あちらこちらでらっきょうをたくさん食べたのですが、いろいろ食べると分かりますね。何がおいしくて何がおいしくないのか。

よーくよーく分かりました。

らっきょうだけじゃない、何にでも言えることですね。

食べるのこそ仕事だし、勉強なのです。

今は、人生の土づくり中だと思っています。


らっきょうは、今からさらに完熟していき、しっかりした「巻き」のシャキシャキらっきょうになっていく時期です。

今年はあえて、ゆっくりその完熟時期をしっかりと待ってからお届けすることにしました。

すべては、3月にJA鳥取いなばの今崎さんから聞いた「1年間おいしく食べて欲しいから」です。

満を持して、再来週からお届けです。

いよいよです。


2013年5月28日火曜日

8年

今日次女が8歳の誕生日を迎えました。

彼女の要望で、家族で近くの回転寿司へ行きました。

かなり喜んでいてそれを見ているだけでごちそうさまです。

帰り道、8年前に彼女が生まれた産婦人科の前を通りました。

当然彼女は何も覚えていませんが、でもいろいろと分かっているようでした。

8年。

あっという間です。

このスピードでまた8年経ったら、彼女は瞬く間に16歳か。

そして僕ら夫婦は・・・47歳!!

・・・!!

・・・。。。


みんな元気で過ごしていることを願っています。

2013年5月27日月曜日

デニスとグレン

NZから、キウイを作っているデニスと、出荷に携わっているグレンが来てくれました。

3年ぶりです。

よく来てくれました。

1週間の日本滞在の予定を一日延ばして、わざわざ仙台へ来てくれたのでした。

本当に限られた時間でしたが、その思いに応えたくてみんなで準備をしました。

寄せ書きと、

僕が産地へ行った時の写真や、

その時にお願いし実現した交流会3年分の写真を、

ミュージックつきスライドにして彼らに贈りました。

果物アシスタントの下田さんのスペシャル編集がとびきり最高でした。

実際にみんなで見ましたが、かなり喜んでくれました。

特にグレンは出張報告にも使えると別な意味でも喜んでくれたようでした。妙な所で親近感を覚えました。お役に立てて何よりです。


午後からは津波の被災地の一つ、名取市閖上(ゆりあげ)に案内しました。

彼らが次いつまた仙台へ来れるか分からないからこそ、今の現状を見て欲しかったので、被災地を案内しました。

かつて住宅街だったところ、今は一軒の家もないところを案内しました。


デニスは一言「sadness」と口にして、それからしばらく思案して、言葉を続けました。

自分の知っている仙台が、自分の知っている人たちが大変な事態に陥っている。それがとても悲しくとても心配だった。
あの時はメールをしても繋がらなかったことを覚えている。
映像で見ていた風景を現実に目の前にして、自然の力の強大さを感じた。自然の力の前には人間が築いてきたものがこんなにも弱いものだということも。


6歳、5歳、3歳の子どもがいるグレンは、自分の身に置き換えて感じたことを話してくれました。

自分の子が通う幼稚園では屋根の上に子どもを避難させる訓練もしているけれど、津波の実際の高さを知って、そんなのでは全然足りないことを知った。
自分達が同じような津波に襲われた時、果たして自分は子どもたちを、家族を守れるだろうか。ずっとそのことを考えている。
今日見た風景は帰ったら会社の人間や家族にきっと伝えるから。

グレンは、ずっとずっと沈痛な表情のまま、目の前の風景を忘れないようにと静かにシャッターを押していました。


二人は口をそろえて、来てよかった、案内してくれて本当に感謝している、と言ってくれました。

こちらこそ、来てくれてありがとうです。


始まりは「キウイフルーツ」で、今も中心にはキウイフルーツがあります。

でも、そのキウイフルーツの向こう側には、

僕らから見たら、作っているデニスや、出荷しているグレンがいて。

彼らから見たら、販売している僕らや、それを食べている組合員がいて。

お互いにお互いの顔や声や表情や仕草や風景やいろいろを知っているから、気になるんだと思います。

商品のやり取り、だけではないことを、今日時間を一緒に過ごしたみんなは感じていたと思います。


僕たちは、再会を約束して、仙台駅で別れました。



2013年5月25日土曜日

学区民体育祭


子どもたちの小学校で運動会がありました。

この地区では、地域の運動会と合同で行われるため、学区民体育祭という名称です。

今回のスローガンは「ゴールに向かってかけぬけろ」でした。


久しぶりに見ました大玉転がし。

親子で転がすのですが、子どもを置き去りにしゴールに向かってかけぬけていたお父さんもいたりして笑。


長女が踊ったソーラン節。

大きくなったもんです。


風は爽やか、日差しは強烈。

おかげで、痛くてしかめつらも出来ないほど、真っ赤に日焼けしてしまいました。

毎度のことですが。


いい一日でした。


2013年5月24日金曜日

夕張メロンの初競り

札幌中央卸売市場で、夕張メロンの初競りに立ち会うことが出来ました。

朝7:00前から競り場にはすごい人だかりでした。

ヒナ段にずらっと並ぶ夕張メロン達。
今日の出荷者は3名でした。

でも、ここに並ぶ量は、去年の半分にも及びません。
去年は110玉、今年は52玉。

今年は春先の残雪が多く、また4~5月の日照不足がたたり、とっても生育が遅れています。
通常の年なら5月中旬には出荷が始まるのに、10日近く遅れています。
昨日のトマトもそうだし、アスパラも出し、もう何もかもです。

そもそも、メロンの生育がこんなに遅れたから、今回たまたまこの競りに立ち会うことが出来たのでした。なんとも言えません。

競りが始まる前に、試食がまわって来ました。
たぶん今の人生で、最初で最後のスペシャル貴重な初物です。

AM7:00、夕張市の鈴木市長(32歳!)の挨拶の後、満を持して、競りが始まりました。
何を言っているかさっぱり分かりません。

と思ったら、もう1箱目の、つまり一番注目を集めるご祝儀相場の競りは終わっていました。

「あ」っと言うまでした。

いや、「え?」っという間でしたね。

今年は、2玉で160万円でした。

史上3番目の高値だったそうです。

右の箱です。

1,600,000って書いています。
本当なんだ。

その隣、競り2箱目は20万円の値が付いていました。

ご祝儀相場から見れば安く見えてしまいますがいやいやいやいやそんなことはない。
だって1個10万円ですからね。メロンがね。


この時の競り値は、夕張メロンだけでなく、今シーズンの北海道のメロン全体へ、気分的、雰囲気的な影響が少なからずあるそうです。

桁外れの高値にはいろんな意見はあるのでしょうが、でもそういった側面があるのも現実なのだそうです。

それだけ、夕張メロンの持つ影響力が大きいということなのでしょう。


夕張メロンの初競りが終わった場内は、日常の力強い喧騒でいっぱいでした。


2013年5月23日木曜日

ニシパの恋人


「ニシパの恋人」は、北海道平取(びらとり)町の桃太郎トマトの名前。

ここのトマトはとてもおいしい。

トマトらしい味がして好きです。

毎年食べますが、最初に食べた時に「あ~やっぱりニシパだなぁ~」って思います。

今日もしみじみ思いましたね。

毎年5月から10月頃までの長期間の取り扱いです。

写真の箱は、幻のハイグレード品。

高糖度のフルーツトマトです。どちらかというと偶然出来る代物で、道内でも限定出荷の超貴重品。本当にめったに見られないそうです。

普通のトマトとは違い、甘みが超際立っていました。

でも僕は普通のニシパの恋人がトマトらしいトマトの味がして好みでした。

少し変わった「ニシパの恋人」の名前には由来があります。

北海道一の出荷量を誇る平取トマトやその加工品をブランド化した名前です。
ニシパとは、アイヌ語(北海道の原住民族)で、紳士・旦那・金持ちをあらわします。ニシパが健康な体を保つために真っ赤に育った熟れたトマトを毎日食べて、恋人のように愛してしまったというストーリーからネーミングされています。(平取町農協HPより)


この地域は普通なら日照量が多く、北海道の中では温暖で(といっても真冬は-30℃くらいまで下がるそうですやっぱり北海道だ)、トマトづくりに最適な地域。

ところが、今年の異常な日照量不足と低温で、なんと生育は2週間遅れ。

今までこんな年はない、とのことでした。

今日も、日差しがあるときは暖かいけれど、風は冷たく、昼過ぎで13℃でした。
夕方札幌に戻るため千歳あたりでは9℃まで下がっていました。
桜もまだチラホラ残っていました。

いろいろと不安です。トマトだけじゃなく。

この地を訪れるのは5年?6年?ぶりです。

状況は毎年大きく変わります。

来て分かることが沢山ありました。最後の最後の、届けた時の品質に関わることです。

来なければ分からない、と思いました。


若き生産者の橘さん。

まだ30歳ですが、トマトを作ってもう10年以上だそうです。

ここには若い力がいっぱいでした。

誰も予想できない天候が続く中、それを乗り越え続け、量、品質とも道内一を続けられる理由のひとつに出会った気がしました。

今年のニシパの恋人、いよいよです。


朝の青葉通り


AM7:00、仙台駅前の青葉通り。

若葉がフルパワーで茂っています。

さらには完璧な青空です。


今週末は小学校の運動会。

この調子なら、今年も暑くなりそうです。

お天道さま、どうかほどほどでお願い致します。


今から平取へ向かいます。



2013年5月22日水曜日

着せ替えサラダ


美味しいドレッシングを頂きました。

味噌とトマトのドレッシングです。

かなりおいしい。

ベビーリーフと絹ごし豆腐のサラダでいただきました。

春キャベツにもかけてみました。

残念ながら、もうなくなりそうです。


以前東京だったか埼玉だったかのスーパーで、「水曜日はドレッシングの日」という売り場を見ました。

そこのお店の棚は、かなりの種類と量のドレッシングが並んでいて、それが毎週水曜日にお買い得になるようでした。

その棚の前で、いろんなものを味見してみたくなりました。

圧倒的なバリエーションは、それだけで楽しくなります。

きっとなんでもそうなんでしょう。

ドレッシングって、サラダの着せ替えのようだなぁと、その時思いました。


サラダは素材が一番です。

でも、それを彩るひと味があると、サラダはもっと楽しくなります。


ごちそうさまでした。

2013年5月21日火曜日

走れ!

このチャンスを逃したら、もう後はない。

そういう時って、きっと誰にだってあるでしょう?

あの時走っていれば間に合ったかもしれない。

諦めなければ間に合ったかもしれない。

大概は、それもずっと前から決まっていたことなんだと、訳知り顔で納得してみたり、強引に納得させたりして来ました。


でも今日は違いました。

僕は走ったのです。

きっと傍から見たら歩みほどのスピードだったでしょうが、自分の精一杯で。


まだ間に合うんです。

手遅れなんてないんです。

ゲームセットのその前に。スリーアウトのその前に。


走れ!俺!

最終バスが出る前に!

2013年5月20日月曜日

tomato-ume


tomato-ume。

トマト梅、です。

南高梅の梅干しを1ヶ月間甘いミニトマトに漬けた、甘い梅干しです。

JAみなべいなみオリジナルで、登録商標もとっている一品です。

そのミニトマトも、最高においしい「優糖星」というJAみなべいなみのミニトマトを使用。この優糖星、まじ美味い。

最初はミニトマトを梅干しに漬けたのか?とか、いろいろ間違っていましたが、やっぱりいろいろ間違っていました。

なんでも若い女性がターゲットの「デザート系」の梅干しなんだそうです。

なるほどデザインが洒落てますね。
もっとオシャレで小粋な、透明な小パック品もありました。

見た目は普通の梅干しですが。
なんとこの梅干しに、添付の特製「梅だれ」をつけて食べるとさらにコクが出るのだそうです。

そこまで言われたらかけるしかありません。

さて。

ほほう~。

新しい。

はちみつ漬けとは違う甘さで、おいしい。

ほとんど酸っぱくないけれど、味はしっかり梅干しだ。
梅干し好きな長女も、梅干し嫌いな次女も喜んで食べていました。

梅だれはバジルの風味でこれだけでも美味しい。パスタにあいそうです。

デザートだからということで夕食後に食べましたが、梅だれをかけなければ、ご飯にもあうな。
かなり贅沢ですが。


「梅干し」というひとつの素材のふくらませ方がすごいです。

ターゲットを決めて研究し、実行する。

でもなんとなくですが、この商品を作った人たちは、最高に楽しんで作ったんじゃないかなと食べながら思いました。

「楽しい」はともすれば「悪ノリ」へと脱線してしまいがちで、僕なんかは脱線するほうがほとんどなのですが、でもそれくらいでいいんじゃなかろうか、なんて思うんです。

美しく言えば、「やわらかい」という感じでしょうか。最高に美しく言えば。


伝統とブランドを大切にしながら、新しいものを作る。
きっといいサイクルが出来ているんだろうなぁと思いました。

2013年5月19日日曜日

八朔の花

八朔の花。

玉ねぎ畑のすぐ近くで、わんさか咲いていました。

辺りはふうわーんと甘い香りでいっぱいです。

香りの中を歩いている感じです。

こんなに甘いのか。

ぼーっと花を見ていたら、ミツバチがやって来ました。
おおう、これがあの美味なる果実への第一歩かと思いましたね。

はっさく好きの僕としてはなかなか胸躍る風景です。

この地区の人達にとってはさして珍しいことではないのでしょうが、僕にはとても新鮮でした。

楽しみは、ゆっくりと育っていくことで、いっそう増えていくのかもなぁと思いました。



2013年5月18日土曜日

本当は喜びたいんです。

和歌山の玉ねぎ。

収獲真っ盛りです。

ここの玉ねぎは特に味も品質もいいと評判です。

今年は生育が順調で、特に数日前に一雨ふた雨あって、ぐんと玉の肥大がすすみ、おかげで収穫量が増える見込みです。

立派なもんです。

明日からまたちょっと雨が落ちるかもという予想もあり、そうなるとさらに玉は大きくなるんじゃないか、ということです。

そして、その状況を教えてくれた方の口から出たのは、ため息でした。


本当はこの状況を喜びたいんです。

特に去年は大不作だったから、なおさら。

でも。

今年は今のところ、豊作を喜べないのです。

なぜなら、不思議なほどに、玉ねぎが売れていないから。

それは、全国的な現象のようです。

ここの産地はそんなに極端に量が増えたわけじゃありません。


理由はいろいろあると思います。

南の産地が量が多いのか、北の産地の量がまだ相当あるからか。

はたまた、大不作だった年に入荷が増えた、海の向こうとの事情なのか。

そもそも、食べる量が減っている?

そんな目に見える単純な理由ではないのかもしれません。


ただ、こちらの玉ねぎは、世の相場とはちょっと距離をおいているので、こんな年こそ、つまりこんなに相場が安い時こそ、集荷する方は踏ん張りどきなのです。

今年だけの話ではないからです。


安い年だって高い年だって、玉ねぎの味は変わりません。

むしろ安い年こそ、品質がよいことの方が多いです。

熱心に特別栽培に取り組んでいる高橋さん。
ここでは、一つ一つ全部手作業です。

店頭にいつもと同じ顔で並んでいる、平凡な玉ねぎ1袋の後ろには、いつもたくさんの誰かがいるのです。


2013年5月17日金曜日

うめ課

和歌山みなべ町。

この町には、日本で唯一「うめ課」があります。

農協にではなく、町役場にあるんです。

ほら。

日本でただ一人しかいない「うめ課長」の林さんにお会いすることが出来ました。

たくさんのお話を聞くことが出来ました。


このみなべ町は南高梅の発祥の町。

明治35年に和歌山の高田さんが発見した高田梅の中から特にいいものを選抜し、それを昭和38年に「南高梅」と名付けたのが始まりだそうです。

南部(みなべ)高校の生徒の地道な調査協力が評価されて、南部高校の「南高」、高田梅の「高」で、南高梅。そもそもが高田梅だとは初めて知りました。

農協の玄関の前に、その母樹がありました。
この1本の樹から接木されすべての南高梅が始まりました。

もうかなり弱っていて実はほとんどつけないそうです。

みんなで大切に大切に守っているそうです。


このみなべ町では、8割以上の町民が何らかのかたちで梅に関わっているそうです。

生産者や小売店、梅干しメーカーはもちろん、運送屋さんから車屋さんから印刷屋さんからはてはスナックまで、すべての産業が梅に関わっていて、もはやひとつの特産品の域を超えています。

だから梅の出来不出来で、みんなの暮らしが変わってしまうとか。

小学校でも梅の忙しい時期は「梅の体験学習」として子どもたちが梅干し作業のお手伝いをするそうです。自分の家が梅農家なら自宅で、自分の家に梅がないときは友だちの家へ行って。

休みという扱いではないでしょうが、いわゆる「梅休み」みたいなものなのだそうです。


梅が他の作物と決定的に違うのは、加工品、「梅干し」になることです。

「青梅」出荷が2割、「梅干し用」出荷が8割。


梅を生のまま、「青梅」で出荷するのは実はたったの、全体の2割だけ。
流通も考慮し、適熟を見極め、手でむしって収獲。

この「適熟」が大切で、その後の漬け上がりに大きな影響があるそうです。

このみなべの南高梅が「香り」「品質」で日本一の評価を受け続けているのは、この地域の温暖な気候風土と、水はけの良い土質と、そしてこの「適熟」収獲。さらには生産者個人個人が丁寧にしっかり選別し、農協の検査員が厳しい検査をする。

それが日本一の理由だということが分かりました。


「梅干し用」の8割は、完熟して樹から落下したものを拾い、農家が塩漬けして土用干しし樽詰までして出荷します。
南高梅の樹の下には、落ちた完熟品を受け止めるネットを敷いています。

また梅、梅干しはその後も梅酒やたくさんの梅加工品となって世に出回ります。

今風に言えば、元祖6次産業です。

それも町ぐるみの。


うめ課長の林さん。
6月になったら全国を飛び回り、県知事とともに全国へ梅の売り込みにまわるそうです。いわゆるトップセールスです。

そしてご本人も南高梅の生産者。

めったに会うことができないそうで、今日は幸運でした。


江戸の昔から藩が梅を奨励していたそうで、それを考えれば、時代はかわったけれどその考え方や想いは、現代の「うめ課」に引き継がれているんだなと思いました。

それがきっと、日本一の「うめのまち」の真髄なのだろうなと思いました。


去年は凶作でしたが、今年は順調のようで安心しました。

今日園地と役場を案内してくれた僕と同い年の農協の山ノ内さん。

いろんなことを惜しげも無く教えてくれました。

山ノ内さんも南高梅の生産者。


他にも書ききれないほど、たくさんのことを知りました。

今、頭のなかは梅でいっぱいです。

うめ課の林課長は、「梅はずっと続きますから」って笑いながら何度も口にしていました。


これからじっくり味わっていこうと思います。