2011年5月23日月曜日

ほんの気持ちです。

地震が起きてから、僕達一家はしばらく奥さんの実家に身を寄せていました。

我が家は電気こそ1週間で回復したものの、水道は3週間、ガスは5週間止まっていたのですが、奥さんの実家は復旧が早く、確か震災1週間後くらいには風呂にも入れたような覚えがあります。

あの時は、町の床屋さんや美容院が「洗髪500円」と紙を貼り出して、貯めた給水をプロパンガスで沸かして髪を洗うサービスなんかもしていました。
あそこの温泉は風呂に入れる、あそこのスーパー銭湯がやっているらしい、などがみんなの話題になっていました。
老若男女、髪すら洗えない日々が続いていたのです。でも、沿岸部を思えば、誰も殊更に不満は口にしませんでした。

ご近所さんの間で、もらい湯も多くありました。プロパンガスは生きていたから、水さえ戻ればお風呂に入れる家もあったのです。
奥さんの実家も風呂再開は早かったほうなので、近所のおばあちゃん家族にお風呂を貸してあげたことがありました。義母が困ったときはお互い様です、と貸してあげたのですが、涙を流さんばかりに喜ばれました。震災後、初のお風呂だったそうです。大人3人、かなり気を使って水もかなり抑えて洗っていたようです。

後日、「あの時は本当にありがとうございました。ほんの気持ちです」と、立派な毛ガニを4ハイも頂きました。郷里の北海道からたくさん送ってきたから、ということでした。
そのお返しに義母は笹かまぼこを上げていました。


遠くの親戚からも、米、水、カップラーメン、トイレットペーパー、紙コップ、乾電池などなどたくさんの支援物資を送ってもらっています。ご近所さんからも、山菜や野菜などをもらいました。
義母は、助けていただいたみなさんに、笹かまぼこや、山形のさくらんぼを送るつもりのようです。


昔は、「お互い様」、「おすそ分け」などは当たり前だったのでしょう。集合住宅でそれぞれが干渉せずに完結している今の生活では、それらは希薄になっていました。
今回の震災は、遠くの人、近くの人、みんなとのつながりがはっきり目に見えた気がしました。

僕達世代の間ではすっかり存在感のない「お中元」「お歳暮」という文化も、もとはこういうことの現れ、延長線上にあった、ごくごく当たり前のことだったのかもしれません。


「ほんの気持ち」のキャッチボールが、そこここで今また始まっている気がします。

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