2012年4月28日土曜日

フィリピン紀行③ 犬と子ども


フィリピンでつながれている犬はどこにもいませんでした。

実際の年齢は分かりませんが、どの犬もどこか諦めと達観が混ざったような、老成したような感じがするのでした。ただ暑くてだるいだけなのかも知れませんが。

どの犬も毛が薄い。
今、フィリピンは1年の中では夏らしいです。だから毛が薄いのか。
いや、ここは1年中夏みたいなもんか。

フィリピンの「夏」だという今の時期、日中の気温が大体32℃くらい。
では、夏以外の季節は?と聞くと、大体30℃くらいだそうで、僕らからしたら同じじゃん、という感じですね。


それにしてもよく子どもたちの姿が目に付く。
聞けば、今はフィリピンの夏休みの時期なのだそう。やっぱり夏なんだ。

クリクリっとした目で真っ白な歯を見せて笑う子どもの顔は、やっぱりいい。

底抜け、って感じです。

田舎の方へ行けば行くほど、子どもの表情が明るかった。

去年東京の立川駅で、夜の10:30にカバンを背負って一人で歩く小学4年生くらいの男の子を見ました。一緒にいた地元の方へ聞くと、塾帰りなんだよ、と教えてくれました。子どもだけで親はまわりにいませんでした。まだ火曜日でした。
分厚い眼鏡をかけて重そうなカバンを背負って立川駅の階段を登る姿は、残業帰りのお父さんのようでした。

その様子をふっと思い出しました。

しあわせってなんだろうね、なんてそんなありがちな感想を真剣に抱かせる、フィリピンの子どもたちの表情でした。


旅の風は人を感傷的にするので、しょうがないのです。

2 件のコメント:

  1. 本編とは関係ありませんが・・・

    諦めと達観が混ざったような、老成したような感じ・・・
    コレを表すのに、一言で「諦観」という言葉があります。

    諦めるとは、そもそも仏教の言葉で「明らめる」の意。

    悟り=明らめる=諦める。
    自我を諦め、無我の境地に入ることが悟りを開くということなのでしょう。

    おそらく、その犬にも諦観があり、悟っているという直観は外れていないでしょう。
    そして、その事を感じ取る・・・ノアさんの優れた感受性に感心した次第です。

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  2. 匿名さん
    コメントありがとうございます。
    もったいないお言葉恐縮です。ありがとうございます。
    諦観ですか、なるほど、初めて知りました。まさにぴったりな言葉ですね。今回のフィリピンでは、積極的に感じよう(変な日本語ですが)と思い、気持ちをいつもアイドリング状態にしていました。
    今は、この時経験したことの中で、後々わかってくることもあるのだろうなぁ、と思っています。

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