宮城県の最南端、山元町でいちごを作っていた岩佐さんは、津波で家もハウスもすべて失いました。
あの日。
地震が起きた後、海の近くの消防団の詰め所にいたんだ。バキバキッという松林が折られる音が聞こえた。不思議と空が明るくなった。松林の上に見える波頭。その波頭に西陽が反射して一面が明るくなったんだと、あとで思い当たった。目の前で自分のハウスが新聞紙のようにくしゃくしゃになる横を、車で逃げた。あとはあまり覚えていないね。
地震直後は、畑もないしやることもないから、消防団の法被を着て交差点で交通整理を始めたんだ。でも俺は百姓。やっぱり自分にはいちご作りしかないからね。岩沼、名取と作れる場所を探したんだ。
そんな経緯で、いろいろな縁から、仙台市の少し北、大和(たいわ)町でハウスを貸してくれる人にたどり着いたのだそうです。
自宅に家族を残し、単身ここで自炊をしながらいちご作りを始めました。
最初の1週間は一人暮らしも旅行気分で楽しかったよ、でも最近は飯作るのも面倒でね、と明るく笑う岩佐さん。
いろんな苦労があるけれど、一番は水だね。
ここ(大和町)の水はアルカリが強くて、いちごが微量要素を吸ってくれないから大変だよ。
日照量も違うし、まず寒い。氷点下10度になるって本当かね。
いちごは最低8度は必要だから、保温も大変だ。
たった一人で5棟のハウスを管理しています。でも今までと比べたら1/5の面積だそうです。
地震が起きた頃はこれからイチゴの最盛期、という時期でした。
だから、地震直後、天気がよい日にやることがないのが切なかったそうです。雨が降ろうが風が吹こうがハウスを心配しなくてもいいのが、なんとも物足りなかったそうです。
だからなのでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿