長女が急遽サポートで小さな舞台に立つことになり、送迎がてら家族で見に行きました。
場所は仙台駅近くの洋服屋さんがたくさん入っているテナントビルのささやかなステージ。
そこで、驚愕の光景を目にしました。
あまり詳細は書きにくいのですが、あーこういう需要と供給があるんだなという感じでした。
僕より年上の男性陣が。
ピンクのTシャツを着こみ。
振り付けもしていた。
スーツの人もいた。
一人で3台のカメラを駆使する人もいた。
中には京都から来た人もいたようだ(!)
秋葉原だけじゃないんだな、と。
妻や義母ははドン引きでしたが。
人の営みとは面白いものだなと、敢えて少し距離を置いてみました。
距離を置かないと、あまりに複雑な気持ちでいっぱいになるのです。
とりあえず、いい経験をしたねと、頑張った娘をねぎらったのでした。
2013年3月31日日曜日
2013年3月30日土曜日
すり傷と笑顔と
最高の笑顔を見せてくれました。
魂まるごと笑っているような、素晴らしい笑顔でした。
場所は近所の交通公園。
桜の名所なのですが、桜はまだまだ気配すらありません。
でも、日差しが暖かいです。
自転車に乗れるようになるって、車を運転できるようになることとは何か全然違うような気がします。
体全体で覚える感じ。
覚えるというよりは、「分かる」という感じ。
違う感覚が身につく感じ。
理屈ではない、あのバランス感覚。
それから彼女、2時間乗り続けていました。夢中になって。時々転んで、すり傷つくって。それでも笑顔で。
自分にとって困難なことを頑張って乗り越えた時、僕たちは最高に嬉しくなります。
特に、転んだりすりむいたりしたならば、その喜びはひとしおです。
難しめな言葉で言えば「達成感」とか「自己実現」とか「成功体験」とか、そんな感じでしょうか。
その喜びの表現は、大人になると、控えめにしたり、隠してみたり、滲ませてみたり、あるいは吹聴したり、優越感に浸ったりと少しねじれていきます。
なかなか素直に「やったー!」っては言いにくくなる。
でも、根本的な感情は、何歳になっても同じなはずです。
彼女がこぐ自転車がすぅーっと数メートルすすんで止まって、振り返ってこちらを見た時の笑顔は、ちょっと忘れられそうにありません。
いずれ彼女が成長して笑顔が曇るようなときがあったら、この日の笑顔を見せてあげようと思います。
僕もこんな風に笑って父親を母親を振り返っていた日があったんだろうなぁなんてつい情緒的になってしまいました。
一つ一つ独りで出来ることが増えていき、僕たちはそれを見守るという寂しさ付きの喜びが増えていきます。
2013年3月29日金曜日
朝の散歩 函館のまち
今日は少し寝坊してしまい6:30分に起きました。
もったいないので、すぐに散歩に出かけました。
今日はそんなに早くなかったけれどもでも。
早起きは、どうやらずいぶんと得なようです。
もったいないので、すぐに散歩に出かけました。
左手に金森倉庫。
まっすぐ向こうには函館山。
金森倉庫の赤レンガに近づいてみました。
「地バーガー」のナンバー1に輝いたハンバーガーショップ、ラッキーピエロ。
GLAYも御用達だったそうです。以前食べましたがボリューム超満点でした。今の僕にはちょっと重いかな。重いふりかな。
新島襄の海外渡航地の碑。
21歳の新島襄は、ここから当時禁じられていた海外渡航を企て、国外脱出したそうです。
「八重の桜」でもいずれ出てくるのかな。ここは出ないかな。
今じゃなかったら、道脇の観光標識で新島襄の名前を見てもここには寄らなかったと思います。
手を繋ぎたくなることで有名な、八幡坂。
曇り空なのが残念です。
今から17、8年前になるかな、結婚する前に当時の彼女と二人で来たことを思い出しました。
当時の彼女って言っても今も同じ屋根の下で暮らしていますが。
いい時代でした。いえ今も(汗)。
僕自身あれが初めての北海道で、3泊4日、全部函館でしたが、少しも飽きませんでした。
いい時代でした。いえ今も(大汗)。
八幡坂を降りたところにあるホテル。
どうやら今は閉館中のようです。ホテルニューハコダテというようです。
いたるところこんな建物ばかりです。雰囲気満点です。
ホテルニューハコダテから歩いてすぐのところが、なんと北海道第一歩の地として記念碑が立っていました。
ここがその地だそうです。
泊まっているホテルが向こう岸に見える。
それにしても、全部全部が歩いてすぐなのがすごい。
ホテルを出てホテルに戻るまで、1時間弱しか歩いていないのに、そこここに観光ポイントが満載です。
おかげさまで美しい思い出をいくつも思い出しました。
ホテルの部屋に戻ってコーヒーを一服。
今日泊まったホテルはコーヒーが豆で置いてある。
ペーパーに入れた、自分で挽いたばかりのコーヒーにお湯を注げば、コポコポといい音がしてくる。
iPhoneからは、僕の大好きなカルロス・リラのボサノヴァが静かに流れています。
一人思い出に浸り優しい気持ちになったりします。まあ雰囲気です。
朝の散歩と挽き立てのコーヒー。
なんて贅沢なのでしょう。
早起きは、どうやらずいぶんと得なようです。
2013年3月28日木曜日
北の華
久しぶりに北海道知内に来ました。
知内は、青森からの青函トンネルの出口がある町であり、北島サブちゃんの故郷であり、北海道で一番のにらの産地でもあります。
「北の華」という名前のにらです。
ここのにらは本当においしい。
にらしゃぶが最高においしい。
にらのしゃぶしゃぶです。
今風に言うと、マジやばいって感じです。
それも、1年の中でも特に美味しい時期がある。
それはいつかって?
今風に言うと、今でしょ!って感じです。(←これが言いたかった)
ここ知内町は毎年2月に「かきにら祭り」というお祭りがあって、それはもう盛大です。
町の人口より多い来場者でにぎわうというからすごい。
こんな感じ(写真は4年前)。
そこで、はじめてにらしゃぶを食べました。
感動した。
ダイナミックに投入!
踊る北の華。
しゃぶしゃぶしゃぶっと。
地元のおかあさんたちがよそってくれます。
ポン酢でいただきます。
あとからあとからやって来る。
まさに老若男女。
こんなんだから、即売のにらも売れる売れる。
みんなにらを買うために行列です。
10束単位で売れていってました。
50束のを一箱買って知り合いに発送する人も結構いました。
ここまでが4年前の思い出です。
「一番刈り」はその名の通り一番初めに刈るにら。
その一番刈りのにらは、葉の幅が広くて、やわらかくて、甘くて、香りがよくて、
しゃぶしゃぶが最高なわけです。
それが言いたくて、つい4年前の思い出に浸ってしまったわけです。
1番刈りのあと25日くらい(季節によっても違いますが)して2番刈りの時期を迎えるのですが、やはり1番刈りには敵わない。いやそれでも十分美味しいのですが。一番刈りはそれほどモノが違うってことです。
一番右端がこれから収穫する1番刈り。
そのとなりから5列あるのが、今伸びてきている2番刈りのもの。
ハウスの端っこは寒いので、生育に時間差があるのだそうです。そのため先に内側のものを収穫する。だから1番刈りと2番刈りが同時に畑にあるのです。
ハウスの外はまだまだ雪が残っていました。
まだビニールを張っていないハウスの中にはいっぱいの残雪。
知内町にら生産組合の大島組合長のお宅では、みんなで出荷作業に大忙しでした。
にらの長さを調整中の大島さんのお母さん。
にらがもっとおいしくなるような、最高に朗らな笑顔で迎えてくれました。
今まで何回か来たことがあるのですが、今回ほどいろんなことを見聞きできたのは初めてでした。
来てよかったです。
そして、もう一つ。
知内のにらのことで今まで影で日なたで関わってくれていた方がいたのですが、その方が今はもういません。
でも、今でも何度もその方の名前がみんなの口からのぼるのです。
すごいことです。
それを目の当たりにしたこともまた、今回の大きな収獲の一つだと思います。
また来年も来ようと思います。
2013年3月27日水曜日
先生、お世話になりました。
我が家の1年生の娘の担任の先生が、今年で定年退職を迎えられます。
今週の金曜日が離任式です。
先生にとって、最後の教え子になったわけです。
僕もぜひ挨拶したかったのですが、明日明後日と出張で仙台にいないため行けません。
とっても残念です。
なぜなら、その先生は、僕が小学3年生だったときの、僕の担任の先生だったからです。
途中で産休に入り、僕は2学期くらいまでしかお世話になっていないのですが、印象は強烈です。
去年の娘の入学式の日に挨拶したら僕のことを覚えていてくれて(!)、
「あの時は急にいなくなっちゃってごめんなさいねぇ~、もう産休の心配はないから安心してね」
と言われました。
なかなかだな、と思いましたね。
おまけに上の子の先生も今年辞めるそうで、娘たち二人してお手紙を書いていましたよ。
そして、僕にも便箋が用意されていました。
先生の最後の年に、僕の先生が娘の先生になるなんて。
これこそまさに、何かの縁ですね。
あれから29年が経っています。
たぶんあの頃から少しも成長していない字で、僕も先生へお礼の手紙を書こうと思います。
今週の金曜日が離任式です。
先生にとって、最後の教え子になったわけです。
僕もぜひ挨拶したかったのですが、明日明後日と出張で仙台にいないため行けません。
とっても残念です。
なぜなら、その先生は、僕が小学3年生だったときの、僕の担任の先生だったからです。
途中で産休に入り、僕は2学期くらいまでしかお世話になっていないのですが、印象は強烈です。
去年の娘の入学式の日に挨拶したら僕のことを覚えていてくれて(!)、
「あの時は急にいなくなっちゃってごめんなさいねぇ~、もう産休の心配はないから安心してね」
と言われました。
なかなかだな、と思いましたね。
おまけに上の子の先生も今年辞めるそうで、娘たち二人してお手紙を書いていましたよ。
そして、僕にも便箋が用意されていました。
先生の最後の年に、僕の先生が娘の先生になるなんて。
これこそまさに、何かの縁ですね。
あれから29年が経っています。
たぶんあの頃から少しも成長していない字で、僕も先生へお礼の手紙を書こうと思います。
2013年3月26日火曜日
北の優しきイクメン登場
いつも大変お世話になっている、ホクレンの佐川さんが東京から仙台に来てくれました。
今僕の頭のなかは6月2週目ころです。
さらには、夏のとうもろこしから秋のにんじんまで、いろいろ具体的に考えています。
最高においしいあのかぼちゃや、今年はじめて行くあんなところやこんなところ、そんな相談をさせてもらいました。
まずは手始めは6月ですね。
いよいよ北帰行です。
佐川さんは知る人ぞ知る、イクメンです。
知る人ぞ知るって、誰が知ってるの?
何かしでかしたの?
いえ、しでかしたのではありません。
紙面に載ったのです。
僕らの知らないうちに。
でーんと。
東北のほんの一部の人に配布されました。
ほんの、たったの40万人ですが。
これからが楽しみですね。
ここ数年で、自分に近い世代の方と仕事をするようになっています。
年上の方々から学ぶことはとても多い。
でも同世代から受ける刺激もまた貴重です。
みんな頑張っています。
いろいろあるけれど僕も頑張ります。
今僕の頭のなかは6月2週目ころです。
さらには、夏のとうもろこしから秋のにんじんまで、いろいろ具体的に考えています。
最高においしいあのかぼちゃや、今年はじめて行くあんなところやこんなところ、そんな相談をさせてもらいました。
まずは手始めは6月ですね。
いよいよ北帰行です。
佐川さんは知る人ぞ知る、イクメンです。
知る人ぞ知るって、誰が知ってるの?
何かしでかしたの?
いえ、しでかしたのではありません。
紙面に載ったのです。
僕らの知らないうちに。
でーんと。
東北のほんの一部の人に配布されました。
ほんの、たったの40万人ですが。
これからが楽しみですね。
ここ数年で、自分に近い世代の方と仕事をするようになっています。
年上の方々から学ぶことはとても多い。
でも同世代から受ける刺激もまた貴重です。
みんな頑張っています。
いろいろあるけれど僕も頑張ります。
2013年3月24日日曜日
階段の向こう側
階段の向こう側に続いていたのは、未来だったような、過去でもあったような、そんな気がします。
子どもたちと一緒に、ドラえもんの映画を見に行きました。
「のび太のひみつ道具博物館(ミュージアム)」というタイトルです。
おなじみの道具たちが満載でした。
きれいなジャイアンも出て来ました。
映画館でドラえもんの映画を見るのは27年ぶりです。
まだ小学3年生だった弟と一緒に行った以来。
僕らはずっぽりドラえもん世代で、大好きでした。
僕が小学1年生の頃、ドラえもんの映画がスタートしました。
父に連れられて行ったその映画は「のび太の恐竜」。
いつもテレビで見ていた世界が、大きなスクリーンで大きな音で僕らをまるごと包み込み、とても強烈だったのを覚えています。
同い年の僕の妻も、彼女がその頃住んでいた横浜でこの映画を見たのだそうです。
今から33年も前のことです。
下の娘も今小学1年生です。
彼女がいつか母親になり、自分の子供(僕にとっては孫か!)と一緒にドラえもんの映画を見に行く。
つまりそういうことなんだけど、想像もつかないけれど、でも、充分ありそうだ。ドラえもんなら。
すごいな、ドラえもん。
画面が大きくて音もすごくて、テレビよりいいね!って娘は無邪気に大満足でした。
そりゃそうです。
自分の子どもの頃や、自分の娘のこれから。
いろんな物思いにふけりながら、僕も一緒になって楽しみました。
階段を登り切ったそこは、そんな懐かしくて新しい場所でした。
2013年3月23日土曜日
タイムカプセル ~和歌山~
和歌山紀ノ川農協の南高梅の樹。
梅干しマイスター(と僕が勝手に呼んでいる)の、紀ノ川農協の武田さんに畑まで案内してもらいました。
今日訪れた畑は武田さんも初めて行く所で、僭越ながら僕が地図を見ながらナビを務めたのですが、完璧なまでに曲がるべきところを通り過ぎてしまいました。お役に立てずすみません。
行きつ戻りつしながらも無事目的の畑に辿り着くことが出来ました。
ちょっとした道程でしたが、ほんわかしました。
今年はいつもより1週間くらい開花が遅かったそうで、開花が遅いと豊作になると昔から言われているそうです。
5mmほどの大きさでしょうか、もう小さな小さな梅の実が出来ていました。
生産者の西野さん。
柿の生産者でもあり、紀ノ川農協の理事でもあります。
いくつもの確認事項や、僕の初歩的な質問にひとつひとつ丁寧に答えてくれました。
一昨日のらっきょうもそうですが、梅は届けてしばらくしてから問い合わせがある、他の青果物とはちょっと違う性質のもの。
届けた後のことを想像しながら、西野さんと武田さんにいろんなことを聞きました。
お二人のお話を聞きながら、4年前に長女と梅干しを漬けた時のことを思い出しました。
漬けたばかりの時の写真。
4年前に漬けた梅干しは、今最高においしくなっています。
武田さんにその話をしたら、うちでもひいおばあちゃんが漬けたずっと前の梅干しがこの前ようやくなくなったんです、と言っていました。40年じゃきかないかも、ということでした。
梅干しをきゃあきゃあ言いながら漬けた(きゃあきゃあ言っていたのは娘たちですもちろん)日のことをまざまざと思い出しました。
なんか、タイムカプセルのようです。
同じように、この梅が届いた先では、もしかしたら何年も食べられ続けるものになるのかもしれません。
漬けた人や出来事を思い起こさせながら。
そんなことも、出来合いの既成品にはない「味」なのだろうなぁと思いました。
6月までに今ある「4年もの」を食べきったなら、また今年、娘たちと漬けてみようかと思います。
娘たちが付き合ってくれるうちに。
今年の豊作を祈っています。
2013年3月22日金曜日
あたりまえのことこそ ~福岡~
福岡に来ました。
いい話ができました。
いい話をいっぱい聞けました。
鳥取からはるばる来てよかったです。
あたりまえのことこそ、今年はしっかりやっていこうと思います。
何かを変えることも大切です。
でもそれだけじゃない。
なぜなら僕はまだまだまだまだ駆け出しだからです。
知らなかったことを知ることで、行動は変わります。そして結果として数字も変わるでしょう。
何より自分が豊かになります。
山積みの高菜。
1束でも結構な量なのですが、それを20束くらい買っているおばちゃんがいました。
なるほど福岡らしいです。
いつでもいろんなことにへぇへぇと驚いたり面白がったりしていたいと思います。
そうそう、いつも素通りしてしまいやっぱり今日も素通りしてしまったので、福岡に来たことは本川さんにはナイショです。
僕はいつも、「次回はない」つもりで、「これが最後になるかも」と思って産地に行っています。
役割なんてある日突然変わるものだからです。
でもいつも本川さんには「今度行きます」って言ってしまうのです。
それも本気なんですよ。。。(言い訳)。
今年は行く理由がきちんとあるので、本当に行きますので、暖かく迎えて下さい。
その行く理由も、「あたりまえのこと」です。
2013年3月21日木曜日
日本一になる理由 ~鳥取~
鳥取に来ました。
朝家を5:20分に出てから、7時間半かかりました。
遠かった。
目的はらっきょうです。
行って、見て、聞いて、この地が日本一になる理由がよく分かりました。
目の前に広がるらっきょう畑の向こうに見えるのは日本海。
ここは鳥取砂丘のすぐ脇、というか、もう畑全体が鳥取砂丘そのものです。
地面の砂は観光名所の鳥取砂丘の砂と同じ。
まったく土気(つちけ)がない、完璧な砂です。
植え付けをする8月には畑は60℃にもなるそうで、白い砂の照り返しもあって想像できないほど暑いそうです。そりゃそうです。
この中を、すべて手作業で植え付けします。
多い人では一日一万株も植え付けするのだとか。
男は早々と音を上げるらしく、女性はとても頑張るのだそうです。
でも、灼けた砂で火傷をすることもよくあるそうで、痛ましいことに暑さにやられて救急車が出動することもあるそうです。
初めて知ることばかりでした。
らっきょうは、手元に届いた時がはじまり。
漬けて1年間食べてもらうもの。
届いた時の見栄えはよくても、漬けてすぐはシャキシャキとおいしくても、そのおいしさ、1年間続くかどうかが、実は大切なことなのです。
「らっきょうの品質」ってそういうことなんだと知りました。
1年間おいしく食べて欲しいんです、というJA鳥取いなば福部支所の今崎さん。
1年間のための、旬の一瞬を大切にしたい、そんな熱い思いが伝わって来ました。
今崎さんはいろんなことをたくさん教えてくれました。
日本一になる理由がよく分かりました。
今崎さんによると、鳥取砂丘は「日本一滞在時間の短い観光地」なのだそうです。
今回は時間がなかったので鳥取砂丘には寄りませんでしたが、今崎さんは表情のみでその日本一の理由を教えてくれました。
日本一になるには、やはりぞれぞれいろんな理由があるようです。
らっきょうの生育は順調です。
今年は僕も漬けてみようと思います。
朝家を5:20分に出てから、7時間半かかりました。
遠かった。
目的はらっきょうです。
行って、見て、聞いて、この地が日本一になる理由がよく分かりました。
目の前に広がるらっきょう畑の向こうに見えるのは日本海。
ここは鳥取砂丘のすぐ脇、というか、もう畑全体が鳥取砂丘そのものです。
地面の砂は観光名所の鳥取砂丘の砂と同じ。
まったく土気(つちけ)がない、完璧な砂です。
植え付けをする8月には畑は60℃にもなるそうで、白い砂の照り返しもあって想像できないほど暑いそうです。そりゃそうです。
この中を、すべて手作業で植え付けします。
多い人では一日一万株も植え付けするのだとか。
男は早々と音を上げるらしく、女性はとても頑張るのだそうです。
でも、灼けた砂で火傷をすることもよくあるそうで、痛ましいことに暑さにやられて救急車が出動することもあるそうです。
初めて知ることばかりでした。
らっきょうは、手元に届いた時がはじまり。
漬けて1年間食べてもらうもの。
届いた時の見栄えはよくても、漬けてすぐはシャキシャキとおいしくても、そのおいしさ、1年間続くかどうかが、実は大切なことなのです。
「らっきょうの品質」ってそういうことなんだと知りました。
1年間おいしく食べて欲しいんです、というJA鳥取いなば福部支所の今崎さん。
1年間のための、旬の一瞬を大切にしたい、そんな熱い思いが伝わって来ました。
今崎さんはいろんなことをたくさん教えてくれました。
日本一になる理由がよく分かりました。
今崎さんによると、鳥取砂丘は「日本一滞在時間の短い観光地」なのだそうです。
今回は時間がなかったので鳥取砂丘には寄りませんでしたが、今崎さんは表情のみでその日本一の理由を教えてくれました。
日本一になるには、やはりぞれぞれいろんな理由があるようです。
らっきょうの生育は順調です。
今年は僕も漬けてみようと思います。
2013年3月20日水曜日
もう一度スタートライン
今日から8年目スタートです。
1週間半しか続かなかった、8年前の今日の日記を読み返してみました。
まだその時の気持ちは覚えています。
2006/3/20(月)
今日から農産商務補。まずは基本的なことをマスターすることからだ。
配達、営業しかしたことがないので、農産の知識はほとんどない。パソコンもあまり使えない。不安だらけだが、体当たりでなるべく早く1人前になれるよう頑張っていこう。
1週間半しか続かなかった、8年前の今日の日記を読み返してみました。
まだその時の気持ちは覚えています。
2006/3/20(月)
今日から農産商務補。まずは基本的なことをマスターすることからだ。
配達、営業しかしたことがないので、農産の知識はほとんどない。パソコンもあまり使えない。不安だらけだが、体当たりでなるべく早く1人前になれるよう頑張っていこう。
2013年3月19日火曜日
笑う笑うまた笑う。
今日は委員会。
東松島ひまわり集会所のみなさんは、とにかく明るい。
笑う。笑う。また笑う。
どんなに味気ない事務的なかたい資料を読んでいる時でも、なぜだか部屋はいつでも笑いのるつぼと化すのです。
ほんとなら暗い話、重い話、全部笑い話になるのです。
今日は火葬場の話で、体格の大きい人は石巻に行かないとだめなんだとか、そんな話でした。
こぢんまりした「こどものみんなの家」は、もうドッカンドッカン、大笑い。
元気は伝染るものだなぁと、ここに来るたび思います。
2013年3月18日月曜日
特攻野郎Aチーム
不敵な表情を浮かべるのは、いつも大変お世話になっている守屋青果の阿部和志さん。
もう一人の阿部(明)さんと一緒に事務所へ来てくれました。
明さんは謙遜するけれど、間違いなく二人はいろんな意味で特攻野郎です。
そして、阿部さんと阿部さんだから、これはもう当然Aチームなわけです。
でも。
今日のAチームは心なしか、最初の勢いが続きません。
はじめは不敵な表情だった和志さん、時間がたつにつれ、不安な表情になっていったように見えたのは、間違いなく僕の気のせいだと思います。
今から8年前、僕が配達現場から今の仕事に就いた初日、教えられた言葉がありました。
「仲卸さんは、ある意味同僚のような、チームのようなものだ」と。
つくづく、そのとおりだなぁと思います。
役割は違えど、目指す方向は同じだからです。
また会いに来ます!と最後は元気に顔を上げて言ってくれた和志さん。
誰にだよ!と突っ込むのは今日のところは控えておきました。
今年の特攻野郎Aチーム、色々と楽しみです。
2013年3月17日日曜日
2013年3月16日土曜日
猪苗代湖
福島のあちらこちらをまわって、いろんな人と会って、野菜作りの現場を見て、思ったことがありました。
「福島は」ってひとくくりにして言う人がいるけれど、その人達は福島のどこを見て言っているのだろう。福島のどこのことを言っているのだろう。
はたして、福島県に来て、この地を歩いて、誰かに会って言っているのだろうか。
自分で感じて言っているのだろうか。
誰かがネットで言う、誰かが思ったことを受け売りで自分が感じたこととして言ってはいないだろうか。
そんな風に聞いてみたいと、思いました。
もし本当に聞いてみたら、なかには答えられない人もいっぱいいるんじゃないかな。
離れたところから、高みから、ものを言わないようにしようと思っています。
これからも自分が見聞きし、感じたことを言おうと思いました。
以前に飛行機の上から見た猪苗代湖。
目の前の猪苗代湖は、空から見るよりずっと綺麗でした。
2013年3月15日金曜日
人がいる。
白河、会津、福島へ行きました。
目的は、人に会うことです。
目的は、人に会うことです。
白河市のサラダ菜生産者、小針さんご夫妻。
複雑な思いを抱えながらも、笑顔で迎えてくれました。
「できるだけ農薬を使わず美味しい野菜を作ります」
帰り際、奥さんがサラダ菜を3箱(36袋!)もくれました。家で子どもたちと美味しくいただきました。
白河のチンゲン菜生産者、稲田喜男さん。
「応援ボックスを買ってくれた人たちからの励ましは、本当に嬉しかったです。買ってくれる人がいる、待っていてくれる人がいることがとても嬉しい。美味しい野菜、こだわりの野菜を頑張って作っていきます。」
今度は時間のある午後においでよと笑いながら言われました。お忙しい時間すみませんでした。
サラダ菜生産者の稲田さんご夫妻。稲田喜男さんの息子さんご夫婦です。
「がんばります!」
5秒くらい考えて、一言力強くそう言ってくれました。
会津の軟泊長ねぎ生産者、猪俣さんファミリー。
猪俣さんと奥さん、猪俣さんの妹さんの3人でおいしいねぎを作っています。
「今年も待っていましたの声が嬉しい。
そろそろこだわりを言えるんじゃなないかなって思います。今までは頑張っていろんなことにこだわっても、自分たちじゃどうしようもないことに制限され、それどころじゃなかったから。
美味しい野菜、こだわりの野菜を届けますから、待っていて下さい」
今年の夏は、中玉トマト、ミニトマトにもチャレンジする予定です。
福島市のトマト生産者、須藤さん。
気合と愛嬌たっぷりの方でした。
トマト、カラフルな「虹トマト」、きゅうりを作っています。
商品名も忘れられないようなインパクトのあるものを考えていますって言うから、須藤さんの写真があれば十分ですよと言って差し上げたらこの表情。
「今年で震災から3年目。味で評価されるように、味にこだわって作って行きたいです。飽きられないようにね。」
野菜、果物。
手元に届くそれらの後ろには、必ず「人」とその人の「思い」があります。
今年はただ「継続」するのではなく、その「人」と「思い」を伝えていきます。
そして、その思いの結実である野菜や果物そのものの良さを伝えて行きたいと思います。
基本的なことです。
でも、今一番、大切なことです。
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