園内は、キンモクセイの花が咲き、熟した栗は地面に落ち、雲は高く、園庭で炊かれた焚き火の匂いがふんわり漂い、完璧な秋でした。
その日の内容は、普段どおりの授業(日本語一切なしの英語の授業!何言っているか分からん!)を後ろで聞いて、後半は外で遊び、お昼は園庭に準備された焚き火でウインナーやマシュマロを焼くバーベキュー、というものでした。
上の娘も同じ幼稚園だったので大体の流れは分かっていたのですが、一つだけ以前はなかったサプライズがありました。
子供たちが使う手作りのメガホンに子供たちの似顔絵を貼るのですが、その似顔絵、なんと父親が子供の顔をその場で描く、というのです。
父親たち、どよめいたどよめいた。
それはそうでしょう。子供に顔を描かれることはあっても、自分が描くことになるとは。それも下書きもなしで。自慢じゃないけれど、絵心の全くない父親としてはとても自信がない。
与えられた時間は5分程度。
自分の娘の顔を、真剣に真剣に見ました。ほほう、こんな目をしていたのか、こんな鼻をしていたのか。こんなくせ毛だったのか。母親なら当たり前に分かっていることかもしれません。
ぼんやりと日がな一日眺めることはあったとしても、目的を持ってこんな風に見ることは初めてでした。
5歳の彼女は照れることもなく無垢な目でじっとこっちを見返していました。
大した出来栄えではなかったのですが、自分ではそれなりに似ていると思いました。奥さんには帽子と髪型が似ていると評価をいただきました。
誰かのことを絵に描くということは、その人とじっくり向き合うということなんだと思いました。
特にちゃんと描こうと思ったらなおさらです。
そして逆に、描かれるということは、それだけ一生懸命見られていたのだなとも思いました。
誰かの顔を、じっくりと描いたことはありますか。
その人の、いや自分の意外なことに気がつくかも知れません。
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