職場の大先輩、太田さんの定年退職に際して、感謝する会が開かれました。
とても光栄なことに、僕にも声がかかりました。
勤続38年だそうです。
僕が生まれて半年の頃に、もう社会人です。
僕は個人的にはほとんど仕事上では関わりがなく、会議で3、4回一緒だったくらいです。
でも、そのことをご本人はしっかり覚えていてくれて、「俺頭は悪いけどそういうことは覚えているんだ」と笑って言ってくれました。
今の我が社の農産の礎を築いた方で、未だにあちこちで名前が上がります。
普通なら到底声などかけられないような人なのですが、僕は農産現役バリバリ時代を知らないので、怖いもの知らずでいろいろとやりとりをさせて頂いています。
感謝する会に参加したみんな(と言っても、そうそうたるメンバーでしたが)が挨拶で口々に言っていたのは、太田さんは農産をやっていたあの頃が一番輝いていた、というセリフで、太田さんも楽しそうに苦笑いしていました。
神戸の原田さん、山形の片桐さん、九州の本川さん。
僕が常にお世話になっている方々は、みんな太田さんとつながっています。
つながりは、表面上は途切れたとしても、切れない線でずっとつながっているもののようです。
例えは適切じゃないかもしれないけれど、どこか、高校時代の親友との関係に似ていると思いました。
戦友なのかもしれません。
「本気度」という温度があるとすれば、その温度差がほとんどなかったのだろうなぁと思います。むしろその温度は上がりづつけていたのかもしれないと思いました。
そして、そのつながりは、新しいつながりを生みます。
僕もその温度まで上昇したいと思っています。
定禅寺通りに出ると、仙台光のページェントが始まっていました。
雪が降ってきました。
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