2012年4月30日月曜日

フィリピン紀行⑦ 足あと

歴史の足あとは、残っていました。


フィリピンは全体的にいい加減な割に、教育にはとても熱心で、どんな山奥にも学校があります。公立の小中学校は無料なのだそうです。

そのおかげでほとんどの人が英語が話せて(日常会話はタガログ語などの現地語)、読み書き計算もできるのだそうです。

ダバオ市街地からカリナン地区に向かう途中のミンタルという町にさしかかると、右手に小学校が見えました。

このミンタルという町はかつて日本人街で、このミンタル小学校は今でこそフィリピンの子どもの小学校ですが、その当時は日本人学校だったということでした。

1910年代に日本からの移民が増え、そこで起業した日本人が、この地に人がとどまるようにという意味を込め、この地を「民多留(ミンタル)」と名付けたのだそうです。

この地で作られていた「マニラ麻」というバナナにそっくりな植物から出来る繊維は、丈夫なロープの素材になり、第一次大戦下でかなりの需要があったそうで、マニラ麻栽培は軍事産業としてこの地の主産業でした。

この時のマニラ麻栽培の技術が、後年、同じ芭蕉科のバナナ栽培に大きく生きたのだそうです。


時代は移り、第二次大戦に突入すると、アメリカ人やフィリピン人による日本人の強制収容、その後の日本軍の上陸、日本人の開放と支配、状況の変化、アメリカの支配、フィリピン人の日本人への報復・・・。

この地で暮らしていた日本人は報復を恐れ、自分が日本人であることのすべての証拠を燃やし、消し去ったそうです。

日本から遠く離れたこの土地で、生き延びるために、過去を、国を捨てた日本人がいたことを、初めて知りました。

このような経緯があるために、この地区にはたくさんの日系人がいるにも関わらず、証拠がないために、日系人と認められないケースが多いのだとか。
日系人に認められると日本で仕事ができることから、中には「日系人である証拠」が偽造され売買されることもあると聞きました。

移民の7割は沖縄からの人々で、今でもお盆の時期には沖縄のお年寄りが大勢押し寄せ慰霊の墓参りをしていくそうです。


「国籍」「民族」。
普段は考えもしないことが、日本から離れたこの土地で、バナナを見に来たこの土地で、ずしんと重く迫って来ました。


過去の隆盛、悲惨な歴史、そして今その遺産の一つとして、マニラ麻栽培の技術がバナナ栽培に生きている。


直接役に立つことのない、何にもならない知識でも、僕は知っておきたいと思うのです。

背景があって、表面に見えない部分に、必要じゃないけれどとても大切なことが隠れている。

こだわりのバナナが出来るまでのストーリー。
その物語を深く知るには、実はバナナの土づくりや気候や農薬の使い方とはまた別な部分、表面上は見えない部分を見ようとすることが大切なのだと思いました。

きっと、なんでもそうなのだと思います。


お世話になった皆さん。

大変ありがとうございました。


2012年4月29日日曜日

フィリピン紀行⑥ バナナを知るために来たんだから。

いろんなバナナを食べました。

左のバナナは「ラツンダン」という品種。
フィリピンではポピュラーなバナナですが、追熟が非常に難しいので、日本での普及はかなり難しいようです。
これ、おいしい。
特に香りが素晴らしい。とてもフルーティです。
酸味もほどほどあって、甘味も強く、おいしかった。

右のバナナは「ラカタン」という品種。
現地では最もポピュラーな品種だそうです。
日本でもちょっと売られています。少し酸味がある分、ただ甘いだけじゃなくコクがある感じで僕は大好きです。でも日本ではあまり人気がないのが寂しいところです。
皮を剥くとこんな感じ。
左がラツンダン。右がラカタン。ラカタンはちょっと黄色っぽいです。

ちなみに日本で売られているバナナのほとんどは「ジャイアントキャベンディッシュ」という品種です。

変わったところでは、コレ。

「カルダバ」という品種で、調理用のバナナです。

砂糖で甘~く煮たものでした。
ほっくりして、そこはかとなく芋的な感じの食感でした。
ほんのり甘いような気もしましたが、甘く煮てあったからかも。
見た目よりおいしいです。

でも、極めつけはコレ。
魚のスープに具として入っていた、このヒダヒダ風のやつ。
正確にはバナナじゃなくて。

コレです。
この中にバナナの元になるものが入っています。
それを包んでいる、皮というか、なんというか。適当な日本語が見つかりませんが、ともかく食欲は湧かないシロモノです。

成長するとめくれてきて、下からバナナが現れます。

全部はがれると、こんな感じ。
バナナは最初下を向いていて、育つにつれて房全体が上に持ち上がってきます。


話は戻って、そのスープの具のソレですが、まあ、食べられはします。
しゃきっとするような食感だったかなぁ。

スープも不思議な酸味と、香りがあいまって、この上なくフィリピン的でした。
闇鍋的なごった煮系だったので、何が入っているかは分かりません。むしろ知らなくていいです。
なかなか手は伸びなかったのですが、よそってくれたものだから、頂きましたよ。もちろん。
何事も経験ですから。

そう言えば、昼間見たソレの陰には、小さな黒い虫が・・・。
何事も経験ですから。

バナナを知るために、来たんですから。
これしき。

フィリピン紀行⑤ 改革を止めるな

フィリピンで驚くことはたくさんありましたが(トイレに便座がないとか!)、その中でも僕らに強烈なメッセージを与えたものがありました。

次の園地に向かうため、レンタカーのドライバーさんが(フィリピンのレンタカーはドライバー付きなのです)、助手席に乗っていた僕が目を覆いたくなるような素晴らしいスピードで対向車線にはみ出してガンガンかっ飛ばしていたところ、行く手を阻むように、マイペースなバイクのお兄ちゃんが目の前を走っていました。

そのフィリピン兄ちゃんのTシャツの背中には、オレンジ色のゴシック文字で、日本語が一言。


「改革を止めるな」

・・・。

えええー!

意味分かってんのかー!

どこで買ったんだー!

むしろどこで売ってんだー!


車中、ひとしきり盛り上がったあと。

・・・。

でも、そうだよな。

止めちゃいけないよな。

そうかもしんね。


なんだか不思議と、静かな説得力があるのでした。

そしてついに日生協のK原さんなんかは、出張報告に「改革を止めてはいけないと思いました」と書く!とまで言うほど感銘を受けていたようでした。

彼、あまりに唐突に登場したものだから、写真を撮るのを忘れてしまいました。

でも、白地にオレンジ色の文字のシンプルなやつだったので、たぶんこんな感じだったと思います。














我ながら、Tシャツが風にはためいている感じがよく書けていると思います。


そして僕たちは、改革を止めちゃいけない、という彼からのメッセージに加えてもう一つ。

自分で着るTシャツは、よく分からない英字のものは着ないようにしようと、心に深く刻んだのでした。

2012年4月28日土曜日

フィリピン紀行④ 北緯6度の太陽


北緯6度。

太陽って降り注ぐんだなぁと思いました。




フィリピン紀行③ 犬と子ども


フィリピンでつながれている犬はどこにもいませんでした。

実際の年齢は分かりませんが、どの犬もどこか諦めと達観が混ざったような、老成したような感じがするのでした。ただ暑くてだるいだけなのかも知れませんが。

どの犬も毛が薄い。
今、フィリピンは1年の中では夏らしいです。だから毛が薄いのか。
いや、ここは1年中夏みたいなもんか。

フィリピンの「夏」だという今の時期、日中の気温が大体32℃くらい。
では、夏以外の季節は?と聞くと、大体30℃くらいだそうで、僕らからしたら同じじゃん、という感じですね。


それにしてもよく子どもたちの姿が目に付く。
聞けば、今はフィリピンの夏休みの時期なのだそう。やっぱり夏なんだ。

クリクリっとした目で真っ白な歯を見せて笑う子どもの顔は、やっぱりいい。

底抜け、って感じです。

田舎の方へ行けば行くほど、子どもの表情が明るかった。

去年東京の立川駅で、夜の10:30にカバンを背負って一人で歩く小学4年生くらいの男の子を見ました。一緒にいた地元の方へ聞くと、塾帰りなんだよ、と教えてくれました。子どもだけで親はまわりにいませんでした。まだ火曜日でした。
分厚い眼鏡をかけて重そうなカバンを背負って立川駅の階段を登る姿は、残業帰りのお父さんのようでした。

その様子をふっと思い出しました。

しあわせってなんだろうね、なんてそんなありがちな感想を真剣に抱かせる、フィリピンの子どもたちの表情でした。


旅の風は人を感傷的にするので、しょうがないのです。

2012年4月27日金曜日

フィリピン紀行② パイン畑でつかまえて

ミンダナオ島の南、ジェネラル・サントス。

どこまでも続く広大なパイン畑の真ん中で、穫れたての完熟パインを頂きました。

んー!

うまいぃ!

30℃を超す炎天の下だから、なおおいしいのでしょう。

人間は気温によって「おいしい!」の感じ方が変わります。
暑い時は酸味を、寒い時は甘みを求めると聞いたことがあります。

パインの株植えをしているところに遭遇しました。

僕はすぐにいろんなことを忘れてしまうので、体に染み込ませようと株植えをさせてもらいました。


へっぴり腰だねははははは、と、それはもう大層ホメられました。

おかげできちんと記憶の引き出しにしまうことが出来たのでした。


空の高いところで雲がちぎれて、流れて行きました。


2012年4月26日木曜日

フィリピン紀行① AM5:30 マニラ


AM5:30、フィリピンの首都、マニラ。

こんな早朝だというのに、車の量がすごい。


フィリピンの乗り合いタクシー「ジープニー」が、道の真中で止まる。
基本、ジープニーは容赦なく街のどこでも止まる。どこでも乗れるし、どこでも降りられる。

どこでも止まるので町中で渋滞が起きるから、今まで何度も何度もバス停を作ろう!という声が上がったけれど、ことごとく市民の反対の声でバス停の実現は夢と消えたのだそうです。

このいい加減さが、実にフィリピンだなぁと、いずれ実感するのです。


AM6:00前なのに、マニラ空港は人人人人人。


空港内のミスタードーナツで、パインクリームのドーナツを一つ購入。1個16ペソ。日本円で32円。安い。甘いけれど、予想していたほどではなく、案外普通においしくいただきました。

最初の目的地は、ミンダナオ島、ジェネラル・サントス。

そろそろフライトです。

2012年4月24日火曜日

春夏秋冬


東松島の仮設住宅近くの桜がほころび始めました。

今日は東松島で2回目の委員会がありました。
無事委員長も決まり、幸先の良いスタートです。

ここ最近、季節がずれたり狂ったりしていて、みんなそれに振り回されていますが、それでも、季節がある、四季があるということはいいことだなぁと思うようになりました。

寒くなったり、暑くなったり、雨風雪嵐が吹いたりと、季節が移り変わるから、そこに生きる人や動物や植物は、懸命にそれに対応して、その土地に適応するよう自分を合わせ、生きてきたのだと分かりました。

冬があるから春が待ち遠しいのだなぁと思いました。

夏しかないような国では、このような喜びはないのかもしれません。

年中夏の国から帰ってきて、そう思ったのでした。

2012年4月18日水曜日

頑張るということ


仙台ではまだ桜が咲いていません。

平成に入ってからの最も遅い開花は4月17日(平成8年)でしたので、この24年間では最遅確定です。

宮城野区に立つ桜の標準木に5輪の花が咲けば、開花宣言です。開花が4輪止まりだと、宣言されないそうです。
今日か明日あたりのようです。


すべてすべて遅れています。

いずれ、いろんなかたちでみんなにもそれが分かることでしょう。

そう言えば、春先桜も遅かったもんね、と。

変化に対応していくのみです。

「汗水を流すことが頑張る、ということじゃない。変化にどう対応していくか。それが頑張るということなんだよ」と、今の仕事に就いたばかりの時に教わった言葉を思い出しました。


今、桜が満開の西那須野を通過しました。

まるで季節を早送りしているようです。


出張から帰ってきたらみんな散っている、なんて寂しい話になりませんように。

2012年4月15日日曜日

応援ありがとう試食会


生協幸町(さいわいちょう)店の店頭では、多くの人で賑わっていました。

昨日わかめの芯抜き作業のお手伝いでおじゃました志津川袖浜でとれたばかりの牡蠣を、蒸し煮にして来店したみんなへ試食として配ると聞いていたので、娘らを誘い行って来ました。

最初は「えーかきー?」「干し柿にがてー」などと気乗りしていなかった彼女らでしたが、初めて食べた牡蠣の蒸し煮はよほど美味しかったらしく、もう一度並んでお代わりしていました。

漁協志津川支所の運営委員長さんが娘たちの食べっぷりを見て、おいしいかい?と嬉しそうに話しかけてくれました。


牡蠣もそうだし、わかめもそうだけれど、正直なところ僕自身今まではそんなに思い入れはありませんでした。

たった数回ではありますが産地へ足を運ぶ機会が出来たことで、自分で味わうことはもちろん、子供たちにもいろいろ伝えたいなと思うようになりました。

行列に並びながら、今日、なんでこうして店頭で牡蠣を配っているか教えてあげました。

季節ごとに、楽しみながら、食べ物の後ろにある話をゆっくりと伝えていければと思っています。

袖浜の海で立派に育ったぷりっぷりの牡蠣は、とてもとても美味しかったです。

2012年4月14日土曜日

南三陸、今が旬です。

南三陸町、志津川袖浜のかき処理場で、わかめの芯抜き作業のお手伝いをしました。

海が目の前のかき処理場は、津波ですべてのみこまれ、建物だけが残っています。


数日前に水揚げされボイルされ塩蔵されていたわかめから、芯(茎)を取り除く作業が芯抜き。
今回は、茎の根元、めかぶに近い部分の、ほんの少ししか無い貴重な「元葉」だけを選り抜く作業をしました。

黙々と作業に集中しみんなの会話が途切れ沈黙が続くと、隣の作業台で作業している生産者の方々が「おーどうした、話題なくなったかー」と時折声をかけてくれ、みんなふんわり柔らかく笑いがおきたりしました。

選り抜かれた元葉わかめ。普通のわかめよりシャキシャキと歯ごたえがあり美味しいそうです。

元葉をとったわかめは、あとで完全に芯抜きをするためしばってまとめておきます。

作業場の扉や窓はすべて波に持っていかれて何もないので、まだまだ冷たい風が作業場を通り抜けます。
昼食準備で湯を沸かすトラベル東さん。

東さんが入れてくれるお茶が寒風の中、とても美味しい。
若干内股ですが、頼りになります。



南三陸のわかめは、今が最盛期です。

見かけたら、ぜひ。

2012年4月12日木曜日

さつきはっさく


このさつきはっさくは、東京の名のある果専店でも販売されているそうです。

きっと、僕にはとても買えないような価格で。

でも、このさつきはっさくで、対価に見合った満足が得られれば、購入した人にとってその価格は「適正な価格」なのだと思います。

どうしても僕は、超スペシャルなものが手に入ると、「この●●は、どこそこでは○○○円で売られていて・・・」と、つい言ってしまいたくなる。
でもそれは、たぶん情けないことなのかも知れないと、気が付きました。

なぜならそれは、誰かがそのものの価値を見極め、決めた価格だからです。
自分で価値を見極めたわけじゃなく、だれかの目利きに乗っかっているに過ぎないんだなと思ったのです。


一方で、このさつきはっさくを作っている生産者は、セレブな人々だけに食べて欲しくて作っているかというと、そんなことはないと思います。

「ものの価値」は、いつどんな時も何にも左右されない絶対的なものでもあるだろうし、環境や状況や時代によって変化する相対的なものでもあるだろうし、そして結局は至極個人的なものでもあると思います。


今しか食べられないさつきはっさくは、いろんなことを教えてくれます。

今が最高のタイミングです。
このタイミングをずっと待っていました。

やっぱり僕は、このはっさくが大好きです。

2012年4月11日水曜日

種の種


山形県鶴岡でしか作れない枝豆、「だだちゃ豆」の「種」の種です。
「原々種」です。

だだちゃ豆の種はどこの種屋でも売っていません。

各農家では、だだちゃ豆としてその年出荷するものとは別に、翌年の種用として「種用のだだちゃ豆」を育て、それらを毎年自家採種しています。

では、その「種用のだだちゃ豆」の種は・・・。

選ばれた、ほんの数名の生産者が、その「種用のだだちゃ豆」の種を作っているのです。

2年前に鶴岡を訪れた時に知りました。

そうだったそうだった。

あの日の日記を久し振りに見返してみて、いろいろと思い出しました。

2年前のあの時作られていた「原々種」をもとに、去年それぞれの農家で「種用のだだちゃ豆」が作られ。
それらが今年、晴れて、出荷用の「殿様のだだちゃ豆」となるのです。


今だけを見ていては分からないことって、たくさんあります。

そしてもしかしたら、今見ていることが、10年後の答えになる。
そういうこともあるかも知れません。

今蒔いている種は、次の種のためかも知れません。
その種も、次の種のためかも。

蒔いて蒔いて蒔き続けることで、未来はつながっていくのだなと思いました。

2012年4月10日火曜日

リバーサイドからの便り


まあ、美味しいけれど。

でも、もっと、美味しいはずだ。

そう、自分の中から声がするのです。

それとも、今年はこんなものなの?

そんな声もします。

案外、舌は覚えているものです。

普通では、やっぱり普通止まりなんです。

期待していますよ。

今年も。

2012年4月9日月曜日

ぼくときみの先生

次女の小学校の入学式で、みんなの前に立った彼女の初めての担任の先生は、なんと僕が小学校3年生の時の担任の先生でした。

先生だ・・・。こんなことってあるんだなぁ・・・。

あんまり驚いたもので、次のPTA会長の挨拶は何一つ覚えていません。
ビデオカメラを構えながら、しばらく呆然としていました。

仙台市だけでも現在125の小学校があって、さらには27年前に担任だった先生が、僕の娘の初めての担任だなんて、かなりの確率だと思います。そもそも、まだ先生をやっていたことが驚きです。

ここまで偶然だと偶然じゃないような気がしてきます。

その先生は、僕の担任時代、学期の途中で産休に入ったので、そんなに長くお世話になったわけではないのですが、とても厳しく怖い先生だったのでよく覚えていました。怒られた記憶はぼんやりあります。

1年1組の教室でひと通りの説明が終わった後先生へあいさつをしに行くと、僕の事を覚えていてくれました。

穏やかな人だったのよ~とまるで大人を紹介するかのように、嫁さんに僕の事を話していました。
あの時(産休時)は突然消えてごめんなさいねぇなんても言われました。
今度あの頃の写真を持ってくるわと言っていました。
先生って凄いな。

不思議なもので、先生の前に立つと、いい年した大人なのにも関わらず「僕」と言ってしまいそうで困りました。


夜、次女と風呂に入ったら彼女、先生に僕の事を聞くんだと張り切っていました。
一番聞きたいことは、僕がどんな人だったか、だそうです。気になるぅ~と言っていました。

他に、友達をたくさん作っていたか、楽しそうに過ごしていたかどうかも聞きたいそうです。「過ごしていたか」なんて、大人みたいなことを言いやがります。まったく。


27年ぶりにまた怒られないよう、実はちょっと緊張しています。
子どもとして怒られるならまだしも、親として怒られたらこれは情けないよなぁ。

この緊張感は、実は大げさでも冗談でもありません。
幼い頃に染み込んだ感覚って、消えることがないって、実感しました。

我が家の新一年生は、布団に入ってからもしばらく、早く明日にならないかなぁ楽しみだなぁとウキウキでした。


先生。
不束者ですが、親子ともども、よろしくお願いします。

2012年4月8日日曜日

はちぞうと一緒に。


絵本作家の葉祥明さんご本人から、1年生になる娘に、お祝いの言葉とサインを頂きました。

何年生なの?と学年を聞かれ、明日から1年生ですと次女がこたえると、葉祥明さんは、驚いた後、やさしい笑顔でおめでとうと言ってくれました。

次女はとてもうれしそうでした。

僕達夫婦にも、おめでとうございますと言葉をくれました。


そして、絵本に「はちぞう」というキャラクターを描いてくれました。

はちぞうは「はちぞうのぼうけん」という絵本に登場するキャラクター。


ハチドリのお母さんから生まれた、他のハチドリたちと違う象の姿をした彼が、本当の自分探しの旅に出かけるというお話。


明日から新しいスタートです。

2012年4月7日土曜日

月の雫の塩

今日、鶴岡のイタリアンレストラン、アル・ケッチァーノの奥田シェフのお話を聞きました。

その時頂いたのが、奥田シェフ御用達の塩、「月の雫の塩」。


日本海の海水だけで作られた塩です。

袋の裏には、こんなことが書いてありました。

「世界でも珍しい海流の日本海。
日本海側でもきれいなことで知られる笹川流れ。黒鯛やアワビ、海藻が多く暮らすその海はシェフがよくもぐった海です。
この海が一年に数回、星の力によってシェフの好きな味に変わります。
その日の潮を汲みあげてゆっくりと釜に火を入れると、最初にひとにぎりの海の雫がキラキラと浮いてきます。その雫の結晶をそーっとすくい集めてもらいました」

釜で炊いて一番最初に浮かんできた大粒の一番塩だけをあつめた塩なのだそうです。

用途の中に、「だだちゃ豆ふり塩」とあったのに、グッときました。

少しだけなめると。

おいしい。

これ、おいしい。
そのままで、こんなにおいしい。


今日、奥田さんのお話を聞いて、いろいろと反省をしました。

僕は、いろんなことを見ているようで、上辺だけしか見えていないうえに、ついわけ知り顔になってしまっていると思いました。
あちらこちらに行っているのに、全然見ていないなぁと思いました。

そして、本当に行かなくちゃいけないところにこそ行っていない、ということも教えられた気がしました。


奥田さんの話の中に「心に穴が開く。そこに悪いもの、毒が入ってくる。汚くなってしまう。必ず敵があらわれる。いいことをすると決まってそれを潰そうとする勢力があらわれる」という、負の言葉が何度か出てきました。

そういう厳しい時は、いつも信念で乗り越えてきたそうです。

それを、穏やかに、時にふんわりとした笑顔でお話されていました。

いいことやきれいなことだけで今があるわけではなくて、そんな苦境から得たことが次のステップにつながっている、というエピソードがたくさんありました。

凄い人だ。
お話が聞けてよかった。


また少しだけ、月の雫の塩を舐めました。

やっぱりおいしい。

そう言えば、今日は満月です。

2012年4月6日金曜日

楽しみにしておくといいよ。

職場の歓送迎会があって、帰り道、20も年上の先輩と一緒に帰りました。歩いて。

仙台駅前からてくてくと、木町を抜け、北山を超え、桜ヶ丘まで。けっこうな時間歩きました。

いろんな、いろんな話をしました。

僕はいろんな人の話を聞くのが好きです。
読んだことのない本を読むような感じです。

「手触り」を求めて、北の町に家を買ったこと。
昔読んだ「免疫の意味論」について。
2000年の元旦出勤のこと。
職場の環境がどんなに変わっても、振り返って考えてみれば、いつでも前向きだったこと。

なるほどなるほどでした。

僕も同じように思うことがたくさんありました。

別れ際、もし今20年前の自分に会ったら何を伝えるかと聞くと、先輩は「楽しみにしておくといいよ」と言うかな、と言っていました。

今僕が就職したての14年前の僕に会って、何か伝えるとしたら。

僕も同じように、楽しみにしておくといいよ、今は目の前のことを一生懸命やるといいよって。
そう伝えようと思います。

きっと20年後の僕も、今の僕にそう言うような気がします。

それだけで充分です。


君の願いはちゃんと叶うよ 楽しみにしておくといい
これから出会う宝物は 宝物のままで 古びていく

君の願いはちゃんと叶うよ 大人になった君が言う
言えないから連れてきた思いは 育てないままで 唄にする
(魔法の料理~君から君へ~)

2012年4月5日木曜日

春の星座

夜道を歩いていたら、1月に東の低い空に見えていた春の星座が、すっかり真上に上がっているのが見えました。

北の空でひときわ目立つおおぐま座の尻尾、北斗七星のひしゃくの柄から、全天で3番目に明るいうしかい座の赤い星アルクトゥルス、全天で2番目に大きい星座おとめ座の青白い星スピカ。それらを結ぶ曲線を、「春の大曲線」と呼びます。

壮大です。



アルクトゥルスとスピカ、それに獅子座の尻尾デネボラを結ぶと、「春の大三角」が出来ます。

鋭く輝いていた冬の大三角に比べると、少しぼんやりです。


人類が星に興味を抱くようになったきっかけは、農業だったそうです。

農作物の栽培や収穫の時期を知るため、古代の人々は、太陽や月や星を観察して、その位置によって季節の変化を予測するようになったそうです。

そのようにして得た知識を後世に残すため、文字を持たなかった人々は、自分たちの神話に登場する人物や動物を星の位置と関連付けて、「星座」として夜空に描いたのだそうです。

稲穂を手に持つ、春の星座おとめ座は農業の女神。
稲穂にあたる部分がスピカ、和名は真珠星です。


九州、四国など、南のほうは、すでに春らんまんでしょうか。
仙台もだんだんと暖かくなってきました。
でも、もっと北の方は、まだまだ冬なんだろうなぁ。先週の弘前のりんご畑はまだ雪の中だったもんなぁ。

もう、東の空の低いところには、夏の星座さそり座の上半分が見えていました。
それを恐れて、さそりに命を奪われたオリオン座は西の地平へ逃げ隠れて行きます。
古代から続く、終わらない追いかけっこです。

季節は今年も、それぞれの土地に、気づかないほど静かに、当たり前のように巡ってきます。

それを迎えられるということは実はとても幸せなことなのだなと、星空を見て思うのでした。


幸せは途切れながらも 続くのです
(スピカ)

2012年4月3日火曜日

何でもない日。

普段は軽い雑談程度しか交わさない職場の先輩と、珍しくいろんな話をしました。
最近、担当委員会が気仙沼になったそうで、先週地震後初めて訪れた気仙沼と南三陸町の状況にショックを受けていました。
今までどうしても見たくなかったんだ、と言っていました。

その先輩は石巻在住で、地震直後は音信不通で安否不明者の一人でした。すぐ近くに壊滅した地区があるそうです。僕には想像のできない状態の中、あの頃を過ごしていたのだと思います。

午後から、街中で京都大学の先生の講演があり、その先輩と一緒に聞いてきました。
震災後の地域再生や、消費税増税、TPPなどがテーマでした。
「被災地域以外の大企業による惨事便乗型資本主義」「人間の復興」という言葉が印象的でした。

その会場である仙台三越の1階では、「葉祥明フェア」が開催されていて、仙台限定の原画なども飾られていました。
今度の日曜日に葉祥明さんご本人がトークショーに来るそうです。サインもくれるそうです。いいなぁ。

先輩と別れた後、所用で人と会いました。
女性とふたりで喫茶店なんてあまり覚えがありません。
女ゴコロ系ではないのが残念です。当然ですが。僕らしいです。
ほろ苦くておいしいコーヒーでした。

打ち合わせ後、三越の地下で、家で煮る用の山形の玉こんにゃくを買いました。
長女が今一番好きな食べ物が玉こんにゃくなのです。
この前行った岩手の一泊二日の温泉旅行でいちばん想い出に残っているのは?という僕の問いに彼女、「晩ごはんで食べた玉こん」と言っていました。喜んでいいのかわかりません。

帰りのバスでは、出来たばかりのトンネルを通り抜けました。今までより5分くらい短縮になったかな。

夜、弟から電話がありました。
週末に家族4人でディズニーランドに行くそうで、見所を教えてくれと。
僕のいちおし、「プーさんのハニーハント」をお勧めしました。

窓の外では、今も記録的な春の嵐が吹き荒れています。


きっとどれも、半年もたたずに、記憶の引き出しにしまったことすら忘れてしまうような、些細なことです。
後から、新聞を見ても、手帳を見てもきっと分からないことです。

だから、取り留めがなくなることを承知で、こんな日もあったよと、書き留めてみようと思いました。

ずっと後になって、これを見た時、ノアくんは何を思うのかなと思いながら。

2012年4月1日日曜日

奇跡のりんご


あの「奇跡のりんご」です。

本物です。

その中でも特に貴重なものをいただきました。
お金を出しても買えないりんごです。

収穫から4ヶ月間、ただ常温の部屋に置いていただけだそうです。

全く傷んでいません。


食べられません。

もったいなくて。