この町には、日本で唯一「うめ課」があります。
農協にではなく、町役場にあるんです。
ほら。
日本でただ一人しかいない「うめ課長」の林さんにお会いすることが出来ました。
たくさんのお話を聞くことが出来ました。
このみなべ町は南高梅の発祥の町。
明治35年に和歌山の高田さんが発見した高田梅の中から特にいいものを選抜し、それを昭和38年に「南高梅」と名付けたのが始まりだそうです。
南部(みなべ)高校の生徒の地道な調査協力が評価されて、南部高校の「南高」、高田梅の「高」で、南高梅。そもそもが高田梅だとは初めて知りました。
農協の玄関の前に、その母樹がありました。
この1本の樹から接木されすべての南高梅が始まりました。
もうかなり弱っていて実はほとんどつけないそうです。
みんなで大切に大切に守っているそうです。
このみなべ町では、8割以上の町民が何らかのかたちで梅に関わっているそうです。
生産者や小売店、梅干しメーカーはもちろん、運送屋さんから車屋さんから印刷屋さんからはてはスナックまで、すべての産業が梅に関わっていて、もはやひとつの特産品の域を超えています。
だから梅の出来不出来で、みんなの暮らしが変わってしまうとか。
小学校でも梅の忙しい時期は「梅の体験学習」として子どもたちが梅干し作業のお手伝いをするそうです。自分の家が梅農家なら自宅で、自分の家に梅がないときは友だちの家へ行って。
休みという扱いではないでしょうが、いわゆる「梅休み」みたいなものなのだそうです。
梅が他の作物と決定的に違うのは、加工品、「梅干し」になることです。
「青梅」出荷が2割、「梅干し用」出荷が8割。
梅を生のまま、「青梅」で出荷するのは実はたったの、全体の2割だけ。
流通も考慮し、適熟を見極め、手でむしって収獲。
この「適熟」が大切で、その後の漬け上がりに大きな影響があるそうです。
このみなべの南高梅が「香り」「品質」で日本一の評価を受け続けているのは、この地域の温暖な気候風土と、水はけの良い土質と、そしてこの「適熟」収獲。さらには生産者個人個人が丁寧にしっかり選別し、農協の検査員が厳しい検査をする。
それが日本一の理由だということが分かりました。
「梅干し用」の8割は、完熟して樹から落下したものを拾い、農家が塩漬けして土用干しし樽詰までして出荷します。
南高梅の樹の下には、落ちた完熟品を受け止めるネットを敷いています。
また梅、梅干しはその後も梅酒やたくさんの梅加工品となって世に出回ります。
今風に言えば、元祖6次産業です。
それも町ぐるみの。
うめ課長の林さん。
6月になったら全国を飛び回り、県知事とともに全国へ梅の売り込みにまわるそうです。いわゆるトップセールスです。
そしてご本人も南高梅の生産者。
めったに会うことができないそうで、今日は幸運でした。
江戸の昔から藩が梅を奨励していたそうで、それを考えれば、時代はかわったけれどその考え方や想いは、現代の「うめ課」に引き継がれているんだなと思いました。
それがきっと、日本一の「うめのまち」の真髄なのだろうなと思いました。
去年は凶作でしたが、今年は順調のようで安心しました。
今日園地と役場を案内してくれた僕と同い年の農協の山ノ内さん。
いろんなことを惜しげも無く教えてくれました。
山ノ内さんも南高梅の生産者。
他にも書ききれないほど、たくさんのことを知りました。
今、頭のなかは梅でいっぱいです。
うめ課の林課長は、「梅はずっと続きますから」って笑いながら何度も口にしていました。
これからじっくり味わっていこうと思います。
今度会ったら、紀南の梅の裏話を
返信削除教えましょう。
ゴリラ
ゴリラさん
返信削除ぜひ!
桜で!