2011年3月1日火曜日

台湾日記① 斉藤さんは、何を、思う

2月24日、現地時間23:00(日本時間24:00)。

台湾第2の都市、高雄に降り立ちました。
東京は暖かく、12℃くらいはあったでしょうか。でも、高雄はもっと暖かかった。24℃くらいでした。むしろ熱い。

ホテル近くの、夜市から少し外れた店で遅い遅い夕食を摂りました。
地元の人しか来ないようなそんなお店でした。レストランではない。食堂?でもない。屋台でもないしオープンカフェでもない。なんとも形容が難しい、台湾ならではのお店でした。

僕達がこれから始まる5日間のことをやいやい話していると、隣のテーブルで一人で食事をしていたおじいちゃんが立ち上がって僕達に話しかけてきました。とっても嬉しそうに。懐かしそうに。日本語で。

あなた達は日本人かい?よく来たねぇ。
日本語上手ですね!
あぁ、昔は国民学校にも行ったんだよ。私は昭和8年生まれ、天皇陛下と同じなんだよ。
そうですよね、ここは昔日本が占領していたんですよね。じゃぁ、日本のお名前も・・・?
ああ、あったよ。斎藤っていう名前だったんだ。
偶然だ!今日は日本から二人も斉藤さんが来てるんです。
そうかいそうかい。ゆっくりしていってね。

終始ニコニコ、嬉しそうでした。

台湾に来るにあたって、今回ほんの少しだけ台湾の歴史をかじっていきました。

昭和8年生まれだと、今年で78歳。このくらいの年齢の方は、日本の占領下で軍隊や警察の厳しい支配と徹底した「日本人化」を受けてきた方々です。統治に抵抗する人々は、日本軍との戦いで戦死したり逮捕され処刑されたそうです。日本は、台湾の人々に日本語を義務付け、強制的に日本名も与え、台湾各地に神社を作り、「天皇の子」という教育を行いました。
一方で、台湾を統治する日本の総督府は道路や鉄道、港湾、農地などを整備し、産業の発展に力を入れたそうです。伝染病の治療や予防にも熱心で、台湾の死亡率は大幅に低下したのだそうです。学生には教育を施し、人々には時間を守ることを教え、鉄道の時刻表を整備し、住宅には必ず便所を設置させたり、便所の後には手を洗う、定期的に家を掃除する、などの習慣も養われたとのこと。

これらのことは、台湾の中学校の教科書、「認識台湾(台湾を知る)」に掲載され、現在も台湾の中学生に教えられています。


どうしてこんなに嬉しそうに、懐かしそうに話しかけてくるんだろう。
きっとこの「斉藤さん」は、想像も出来ないような、いろんな葛藤を乗り越えて来たんだろう。そして今こうやって見知らぬ日本人に、笑いかけているんだろう。


「そこにある商品だけを見るんじゃない。そのものが、その地で、その環境で生まれたこと。そのものが出来た背景を知ることがとても大切なんです。その土地の歴史もです」
今も大変お世話になっている方が、以前教えてくれた言葉です。


「斎藤さん」は、歯のほとんどなくなった口もとにビールを傾けながら、いつまでも穏やかな表情で僕達を見ていました。

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