福島県川内村役場。
川内村は、村内の4割が20km圏内の警戒区域でした。
今年の4月1日に20km圏内の警戒区域が見直され、20km圏内でも比較的線量の低いところは許可なく立ち入りが出来るようになりました。
「避難指示解除準備区域」という区域名です。
いずれ自分のふるさとへ戻ってくるときのための準備ができるようになったのです。
でも、宿泊は出来ません。
自分の家なのに。
村役場の方の案内で、実際にその区域へ行きました。
かつて田んぼだった場所で風に波打っていたのは、稲ではなく、群生した背の高い雑草達でした。みわたす限りでした。
小学校、中学校、保育所。
どこにも線量計がありました。
意外だったのですが、どこも線量は低かったです。
村中で、徹底した除染作業が行われていました。とにかく人力の大変な作業です。
遠藤村長からは、「帰村宣言」に込められた思いと、そこに至るまでの葛藤と判断の難しさについてお聞きすることが出来ました。
「戻れる人から戻りましょう。心配な人はもう少し様子を見てから戻りましょう。みなさんの自主判断に委ねます」という遠藤村長の思いで出された「帰村宣言」を受けて、一部の村民は戻ってきているそうです。
でも、人が戻ってきただけでは、暮らしは元に戻りません。
川内村の経済圏は、お隣、富岡町だったそうです。
買い物も、学校も、病院も、職場も、その多くが富岡町にあったそうです。今は立ち入ることができない町です。
村内で、食事の出来る店は、たった1軒のお蕎麦屋さんだけ。
村唯一のコンビニも、品揃えは以前に比べとても少ないそうです。
以前は112人の児童が通っていた小学校では、今戻って来ている16人の子どもたちのために、3人の給食のおばちゃん達が心を込めて毎日給食を作っているそうです。
「暮らす」ということは、網の目のようないくつもの繋がりが複雑に織り成して成り立つこと。
僕達の365日は、そんな繋がりの中で過ぎていっている。
それを、あまりに厳しい現実が教えてくれました。
いろんな意見や考え方はあるだろうけれど、この地に立てば、分かることがあります。
僕は、分かりました。
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